内田篤人がサッカー界で本領を発揮するのはむしろこれから
内田篤人について記すサッカーダイジェストの加部氏である。
篤人の経験を強く推す。
「本質を平然と見抜く鋭敏な目、またそれを端的に表現する聡明さ、そして他に到達者不在の経験」という言葉にそれが集約されておる。
これだけの選手が鹿島にてプロデビューし、日本代表へ、そして欧州にてインパクトを残したことは偶然ではなかろう。
鹿島という土壌、そしてそのクラブを選ぶ篤人自身の聡明さが、このサッカー人生を送ることとなったのである。
不運なことに負傷により短いプロサッカー選手として幕を閉じることとなった。
しかしながら、これからその深い経験と聡明な頭脳をサッカー界に還元することとなる。
どこでどのようなポジションで活かしていくのか楽しみとしか言いようがない。
篤人のセカンドキャリアに注目である。

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内田篤人がサッカー界で本領を発揮するのはむしろこれから? 本質を見抜く目に、日本人最高レベルの経験値も
加部 究
2020年08月23日
【識者の視点】北京五輪の屈辱から多くの選手が海外に飛び出す中で、内田もドイツへ。日本代表が最も充実していたザック体制前期

23日のG大阪戦が現役ラストマッチとなる内田。日本代表では攻守に貢献度の高いプレーで右サイドを支えた。写真:サッカーダイジェスト
ゲルゼンキルヘンの中央駅は殺気立っていた。地元のシャルケ04が、伝統のルール・ダービーでドルトムントに逆転負けを喫した。しかもライバルクラブは3日前にバイエルンとの首位攻防戦も制し、連続無敗記録を「25」に伸ばして意気揚々と帰っていく。警官に制止されたシャルケのサポーターは、唾を吐き罵声を飛ばして精一杯の抵抗を示していた。
シャルケのスタメンとして85分間プレーした内田篤人は、ミックスゾーンに顔を出すと飄々と話し出した。顔見知りが多かったせいか、雑談も混じりそこに本音が覗いた。
「青と黒(チームカラー)のスパイクしか履けないなんて、こっちへ来て初めて知った。結局試合には勝たなきゃね。1対1の勝率とか、走行距離とか、勝てばどうだっていい」
その後はドイツと日本のレフェリーの力量の乖離など、忖度なく真実を率直に口にするところが内田らしかった。
8年前の春、日本サッカーは確実に上げ潮ムードに包まれていた。2010年の南アフリカ・ワールドカップを終え、シャルケに移籍した内田はいきなりレギュラーの座を掴むと、チャンピオンズ・リーグ(CL)でクラブ史上初のベスト4に進出。香川真司はドルトムントの中核として大ブレイクを果たし、前述のバイエルン戦翌日にオランダへ足を延ばすと「VVVフェンロ-フィテッセ」戦では、吉田麻也を筆頭に両軍合わせて3人の日本人選手がベンチ入りしていた。また同じくVVVで基盤を築いた本田圭佑はCSKAモスクワで躍動し、チェゼーナからインテルへ飛躍した長友佑都はCLで内田との日本人対決も実現させた。歴史を振り返っても、日本代表が最も充実していたのは、苦手だったアルゼンチンを下し、カタールのアジアカップで優勝を飾り、ライバルの韓国を3-0で一蹴したアルベルト・ザッケローニ体制前期だったのではないかと思う。
基盤になったのは、結成当初は期待薄とみられていた2008年北京五輪に出場したチーム。実際彼らは五輪で3連敗を喫している。
大会を去る時に反町康治監督は、すすり泣きが響くロッカーで選手たちに伝えた。
「オレはもうこうして海外で試合をすることはないだろうけど、あなた方はこれからもどんどん国際経験を積み重ねていくだろう。10年後に、また会おう。だからそれまではどんなカテゴリーでもいいから、現役を続けるんだぞ」
結局世界との差を体感した選手たちは、屈辱をバネに次々に海外へと飛び出していった。
キャリアを見る限り、内田は典型的なシンデレラボーイだ。鹿島で高卒1年目からレギュラーに抜擢され、2年目からはチームの3連覇に貢献。ブンデスリーガでも強豪チームに移籍しながら、あっさりとスタメンを掴み取っている。
しかも輝かしいのはキャリアだけではなかった。業界内では「内田を表紙にすると売り上げのケタが変わる」との伝説が生まれたほど、女性の新規ファンを一気に開拓していった。シャルケの練習を見学した経験はないが、日本代表が欧州ツアーに出れば必ず「ウッチーサポ」の塊が目に入った。部活出身なのに涙や汗の匂いがなく、いつも涼しげに及第点のプレーをこなしていく。もちろん内田には、走力やキックの精度などのベースがあり、本場で経験を重ね状況判断も磨かれて来た。だが同時に、こうして喜怒哀楽の表現を最小限にとどめられるメンタルも、SBとしては重要な資質だったのだと思う。
エース級に立ち向かってきた内田の安定したパフォーマンスがなければ…

右膝の故障に悩まされた内田。それでも、日本人では最高レベルの経験を武器に常に安定したプレーを披露した。写真:サッカーダイジェスト
所属クラブでの順風満帆ぶりとは裏腹に、代表では節目ごとに辛酸をなめた。地元静岡で開催されたU-16アジア選手権ではグループリーグで敗退し、北京五輪でもまさかの全敗。2010年南アフリカ・ワールドカップでは岡田武史監督の土壇場での戦術変更の影響でベンチに座り、さらに4年後のブラジル大会でもフル出場はしたが惨敗した。
ただしこの間も、日本代表が上げ潮で世界との距離を縮めていると実感できたのは、右サイドで内田の波の少ないパフォーマンスが計算できたことが影響している。ネイマール、リベリー、クリスティアーノ・ロナウド……、欧州シーンや国際舞台では、必ず相手の左サイドにエース級の仕掛け人がいる。おそらく内田でなければ、惨状に見舞われても不思議はないアタッカーばかりだ。反面内田自身も、南アでピッチに立てなかった痛恨の想いを胸に、自慢の攻撃的資質に守備の対応力を上乗せし、涼しげな風貌とは裏腹の凄味を着実に増して来た。
ブラジル・ワールドカップでは、ふたつの「タラレバ」が浮かぶ。コートジボワール戦前半、本田の先制後にペナルティエリアに侵入した内田は、見事な切り替えしでDFをかわし左足で狙った。またコロンビア戦では1点差を追う65分に、岡崎慎司とのワンツーから大久保嘉人に完璧なクロスを送った。どちらかが決まっていれば日本代表の命運は変わっていたかもしれない。
北京五輪から12年が経過した。さすがに反町氏も、長寿傾向が強いSBの優等生が真っ先に現役を退くことなど想像もつかなかったに違いない。だが今思えば完治しなかった故障も、内田だけが知悉する世界の頂点との切磋琢磨の代償であり、逆に勲章だと捉えることもできる。
本質を平然と見抜く鋭敏な目、またそれを端的に表現する聡明さ、そして他に到達者不在の経験……、日本サッカー界で内田が本領を発揮するのは、これからなのかもしれない。
取材・文●加部 究(スポーツライター)
篤人の経験を強く推す。
「本質を平然と見抜く鋭敏な目、またそれを端的に表現する聡明さ、そして他に到達者不在の経験」という言葉にそれが集約されておる。
これだけの選手が鹿島にてプロデビューし、日本代表へ、そして欧州にてインパクトを残したことは偶然ではなかろう。
鹿島という土壌、そしてそのクラブを選ぶ篤人自身の聡明さが、このサッカー人生を送ることとなったのである。
不運なことに負傷により短いプロサッカー選手として幕を閉じることとなった。
しかしながら、これからその深い経験と聡明な頭脳をサッカー界に還元することとなる。
どこでどのようなポジションで活かしていくのか楽しみとしか言いようがない。
篤人のセカンドキャリアに注目である。

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内田篤人がサッカー界で本領を発揮するのはむしろこれから? 本質を見抜く目に、日本人最高レベルの経験値も
加部 究
2020年08月23日
【識者の視点】北京五輪の屈辱から多くの選手が海外に飛び出す中で、内田もドイツへ。日本代表が最も充実していたザック体制前期

23日のG大阪戦が現役ラストマッチとなる内田。日本代表では攻守に貢献度の高いプレーで右サイドを支えた。写真:サッカーダイジェスト
ゲルゼンキルヘンの中央駅は殺気立っていた。地元のシャルケ04が、伝統のルール・ダービーでドルトムントに逆転負けを喫した。しかもライバルクラブは3日前にバイエルンとの首位攻防戦も制し、連続無敗記録を「25」に伸ばして意気揚々と帰っていく。警官に制止されたシャルケのサポーターは、唾を吐き罵声を飛ばして精一杯の抵抗を示していた。
シャルケのスタメンとして85分間プレーした内田篤人は、ミックスゾーンに顔を出すと飄々と話し出した。顔見知りが多かったせいか、雑談も混じりそこに本音が覗いた。
「青と黒(チームカラー)のスパイクしか履けないなんて、こっちへ来て初めて知った。結局試合には勝たなきゃね。1対1の勝率とか、走行距離とか、勝てばどうだっていい」
その後はドイツと日本のレフェリーの力量の乖離など、忖度なく真実を率直に口にするところが内田らしかった。
8年前の春、日本サッカーは確実に上げ潮ムードに包まれていた。2010年の南アフリカ・ワールドカップを終え、シャルケに移籍した内田はいきなりレギュラーの座を掴むと、チャンピオンズ・リーグ(CL)でクラブ史上初のベスト4に進出。香川真司はドルトムントの中核として大ブレイクを果たし、前述のバイエルン戦翌日にオランダへ足を延ばすと「VVVフェンロ-フィテッセ」戦では、吉田麻也を筆頭に両軍合わせて3人の日本人選手がベンチ入りしていた。また同じくVVVで基盤を築いた本田圭佑はCSKAモスクワで躍動し、チェゼーナからインテルへ飛躍した長友佑都はCLで内田との日本人対決も実現させた。歴史を振り返っても、日本代表が最も充実していたのは、苦手だったアルゼンチンを下し、カタールのアジアカップで優勝を飾り、ライバルの韓国を3-0で一蹴したアルベルト・ザッケローニ体制前期だったのではないかと思う。
基盤になったのは、結成当初は期待薄とみられていた2008年北京五輪に出場したチーム。実際彼らは五輪で3連敗を喫している。
大会を去る時に反町康治監督は、すすり泣きが響くロッカーで選手たちに伝えた。
「オレはもうこうして海外で試合をすることはないだろうけど、あなた方はこれからもどんどん国際経験を積み重ねていくだろう。10年後に、また会おう。だからそれまではどんなカテゴリーでもいいから、現役を続けるんだぞ」
結局世界との差を体感した選手たちは、屈辱をバネに次々に海外へと飛び出していった。
キャリアを見る限り、内田は典型的なシンデレラボーイだ。鹿島で高卒1年目からレギュラーに抜擢され、2年目からはチームの3連覇に貢献。ブンデスリーガでも強豪チームに移籍しながら、あっさりとスタメンを掴み取っている。
しかも輝かしいのはキャリアだけではなかった。業界内では「内田を表紙にすると売り上げのケタが変わる」との伝説が生まれたほど、女性の新規ファンを一気に開拓していった。シャルケの練習を見学した経験はないが、日本代表が欧州ツアーに出れば必ず「ウッチーサポ」の塊が目に入った。部活出身なのに涙や汗の匂いがなく、いつも涼しげに及第点のプレーをこなしていく。もちろん内田には、走力やキックの精度などのベースがあり、本場で経験を重ね状況判断も磨かれて来た。だが同時に、こうして喜怒哀楽の表現を最小限にとどめられるメンタルも、SBとしては重要な資質だったのだと思う。
エース級に立ち向かってきた内田の安定したパフォーマンスがなければ…

右膝の故障に悩まされた内田。それでも、日本人では最高レベルの経験を武器に常に安定したプレーを披露した。写真:サッカーダイジェスト
所属クラブでの順風満帆ぶりとは裏腹に、代表では節目ごとに辛酸をなめた。地元静岡で開催されたU-16アジア選手権ではグループリーグで敗退し、北京五輪でもまさかの全敗。2010年南アフリカ・ワールドカップでは岡田武史監督の土壇場での戦術変更の影響でベンチに座り、さらに4年後のブラジル大会でもフル出場はしたが惨敗した。
ただしこの間も、日本代表が上げ潮で世界との距離を縮めていると実感できたのは、右サイドで内田の波の少ないパフォーマンスが計算できたことが影響している。ネイマール、リベリー、クリスティアーノ・ロナウド……、欧州シーンや国際舞台では、必ず相手の左サイドにエース級の仕掛け人がいる。おそらく内田でなければ、惨状に見舞われても不思議はないアタッカーばかりだ。反面内田自身も、南アでピッチに立てなかった痛恨の想いを胸に、自慢の攻撃的資質に守備の対応力を上乗せし、涼しげな風貌とは裏腹の凄味を着実に増して来た。
ブラジル・ワールドカップでは、ふたつの「タラレバ」が浮かぶ。コートジボワール戦前半、本田の先制後にペナルティエリアに侵入した内田は、見事な切り替えしでDFをかわし左足で狙った。またコロンビア戦では1点差を追う65分に、岡崎慎司とのワンツーから大久保嘉人に完璧なクロスを送った。どちらかが決まっていれば日本代表の命運は変わっていたかもしれない。
北京五輪から12年が経過した。さすがに反町氏も、長寿傾向が強いSBの優等生が真っ先に現役を退くことなど想像もつかなかったに違いない。だが今思えば完治しなかった故障も、内田だけが知悉する世界の頂点との切磋琢磨の代償であり、逆に勲章だと捉えることもできる。
本質を平然と見抜く鋭敏な目、またそれを端的に表現する聡明さ、そして他に到達者不在の経験……、日本サッカー界で内田が本領を発揮するのは、これからなのかもしれない。
取材・文●加部 究(スポーツライター)
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>>その後はドイツと日本のレフェリーの力量の乖離など、忖度なく真実を率直に口にするところが内田らしかった。
保身に走って忖度しまっくてる他の「解説者」とはレベルが違うことを引退後も見せつけてやってほしいですね。
あと、今日の試合がどのような結果に終わろうと、審判が試合を汚すことだけはあってはならないです。
保身に走って忖度しまっくてる他の「解説者」とはレベルが違うことを引退後も見せつけてやってほしいですね。
あと、今日の試合がどのような結果に終わろうと、審判が試合を汚すことだけはあってはならないです。