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内田篤人引退セレモニー

内田篤人の引退セレモニーを報じる各紙である。
これだけの紙面を読むに、如何に偉大な選手であったかが強く伝わってくる。
「人に恵まれた」という言葉は、深い。
これが人生なのだろうと強く感じさせられる。
これからのことは、まだ決めきっていないとのことであるが、サッカー界には関わってくれるであろう。
また会いましょう!

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鹿島内田涙声の引退あいさつ「申し訳ない」「感謝」
[2020年8月23日21時49分]


鹿島対G大阪 引退あいさつする鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)


鹿島対G大阪 後半、G大阪FWパトリック(後方)のシュートを体を張って守る鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)


<明治安田生命J1:鹿島1-1ガンバ大阪>◇第12節◇23日◇カシマ

20日に引退を電撃発表した鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が、現役ラストマッチとなったガンバ大阪戦を終えて引退セレモニーに姿を見せた。

「カシマの誇り篤人の2を忘れない」など感謝の横断幕がひしめく中、まだ引かない汗をしたたらせながら再登場。ジーコ・テクニカルディレクターから花束を贈呈された。

そのままセンターサークル内に歩みを進めると、ビデオメッセージが流れる。高卒1年目の06年の開幕戦でいきなり先発に抜てきしたアウトゥオリ監督、07~09年にJ1リーグを3連覇した時のオリベイラ監督からメッセージが贈られた。

マイクの前に立つと「そんなたいした話はしないんで大丈夫です」と内田らしい言い回しで笑い、切り出した。

「今日、僕はここでサッカー選手を引退します。鹿島アントラーズというチームは数多くのタイトルを取ってきた裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら日々、努力する姿を見てきました。僕は、その姿を今の後輩に見せることができないと、日々練習していく中で体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーすることは違うんじゃないか、サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました」

「もう一花、二花、咲かせたいと日本に戻ってきましたが、その中で隣に寄り添ってくれたトレーナー、まだやれると背中を押してくれたザーゴ監督、大岩前監督、いい時も悪い時もともに過ごしたサポーター、スポンサー、そしてチームメート、本当にありがとうございます」

「このようなシーズン、チーム状態で僕の決断を理解してくださった強化部、監督、チームメートに、本当に申し訳ない。日の丸を背負ってプレーする重さも、殺気あるドイツのスタジアム、つらさ、うれしさ、すべて僕の財産です」

「もう少しだけ。この話を聞いている全国のプロサッカー選手を目指すサッカー小僧の皆さん、鹿島は少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、いま在籍している選手たちが君たちの大きな壁となり、ライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。僕はそれを強く願います」

「最後に、サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう」

時折、涙声になりながらも、最後までこらえ、あいさつを全うした。その後は子供とともに場内をゆっくり1周し、チケット約5000枚が即完売したスタジアムに詰めかけたファン・サポーターへ手を振り、別れを告げた。

試合はベンチスタートだったが、0-1の前半16分に右サイドバック広瀬の負傷を受けて緊急出場。MF三竿からキャプテンマークを託されると、聖地カシマの雰囲気が一変。途中で右膝のテーピングを巻き直しながらの執念のプレーで攻守を活性化した。

その執念が実ったのが、1点を追う後半ロスタイム5分だった。内田が右足で繰り出したロングパスが起点となり、DF犬飼の同点ヘッドが生まれた。最後の最後に、元鹿島DF昌子らが立ちはだかるG大阪の守備陣を打ち崩した。かつてリーグ3連覇に貢献したように常勝軍団を勝たせて終わることはできなかったものの、敗色が色濃かったチームを最後に救ってユニホームを脱いだ。【木下淳】

早すぎる内田引退、世界と渡り合ったからこその葛藤
[2020年8月23日21時54分]


引退あいさつで言葉に詰まる鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)


鹿島対G大阪 前半、ドリブルする鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)


鹿島対G大阪 後半、ジャンプしてヘディングする鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)


鹿島対G大阪 長女を抱っこしサポーターにあいさつに向かう鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)

写真コメント

鹿島対G大阪 ジーコテクニカルディレクター(左)から花束を受け取る鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)


<明治安田生命J1:鹿島1-1G大阪>◇第12節◇23日◇カシマ

鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が、ガンバ大阪戦で14年半の現役生活を終えた。味方の負傷で1点を追う前半16分に緊急出場。クロスを上げ続け、後半ロスタイムにはサイドチェンジのロングパスで1-1の同点弾の起点となった。スライディングタックルでイエローカードをもらう場面もあり、最後の瞬間まで闘志あふれるプレーで勝利のためにひた走った。

   ◇   ◇   ◇

最後にドラマが待っていた。目安いっぱいの後半ロスタイム5分、右サイドの内田は前線へ大きくサイドチェンジした。これを起点に抜け出したMF荒木が中央へクロスを送り、DF犬飼が頭で同点弾を決めた。劇的な展開にも、テレビ中継のインタビューで「いろんな感情が出て難しい試合にしてしまった。勝ち点3が欲しかった」。最後まで鹿島の選手らしく、勝利を逃したことを悔いた。

出番は予想外の形で訪れた。前半13分、右サイドバックで先発したDF広瀬が負傷。駆け寄ったチームドクターがベンチに向かって「×」を示すと、会場がどよめいた。1点を追う前半16分にピッチへ立ち、MF三竿からキャプテンマークを譲り受けた。鋭いクロスを何本も供給し、スライディングタックルで警告を受けた。闘志あふれるプレーで味方を鼓舞した。

戦力として十分なプレーを見せたが、古傷の右膝から太ももまで伸びたテーピングを巻き直す場面もあった。体は満身創痍(そうい)。昨季は「若手は100%で動ける体があるならやるべき」と、自身の身上を重ねて話したこともあった。万全の状態で臨んだはずの12日のルヴァン杯清水戦で、今の限界を知った。引退セレモニーでは「先輩たちが選手生命を削りながら日々努力する姿を見てきた。その姿を今の後輩に見せることができない。サッカー選手として終わったんだな、と考えるようになりました」と声を震わせた。

14年2月に右膝を負傷するも、同年のワールドカップ(W杯)W杯ブラジル大会でリベンジするため「無理のしどころかな」と保存療法を選んだ。W杯では世界に通用するプレーを見せたが、15年3月には右膝を再び負傷、6月に手術を受けた。復帰まで1年9カ月のブランクは、選手生命に大きな打撃を与えた。

それでも功績は大きい。10年W杯南アフリカ大会で出番なく終わった悔しさを胸に、同年夏にドイツへ渡った。FWカズらが切り開き、MF本田らが可能性を広げた海外への道。内田はシャルケで欧州CL日本人最高のベスト4と結果を残した。176センチ、67キロと線は細いが、スピードや技術、頭脳で世界と渡り合えると証明し、日本人の地位を向上させた。

32歳での引退はあまりにも早すぎるが、セレモニーの最後を「すべての人たちに感謝します。また会いましょう」と結び、子ども2人と場内を一周した。いつか別の立場で、選手として果たせなかった思いを遂げることを、日本中が願っている。【杉山理紗】

◆内田篤人(うちだ・あつと)1988年(昭63)3月27日、静岡県生まれ。清水東高から06年に鹿島入り。07~09年のJ1の3連覇などに貢献。10年夏にドイツの強豪シャルケへ移籍。10-11年シーズンに欧州CL4強入りも果たした。ウニオン・ベルリンを経て、18年に鹿島復帰。日本代表では国際Aマッチ74試合出場2得点。W杯は10年南アフリカ大会と、14年ブラジル大会に日本代表として参加し、14年は1次リーグ全3試合に出場した。ポジションはDFで右サイドバックで活躍。15年5月に結婚を発表し、16年に第1子となる長女が誕生した。愛称ウッチー。176センチ、67キロ。

引退の鹿島内田「やめるのやめようかな」一問一答
[2020年8月23日22時11分]


鹿島対G大阪 ジーコテクニカルディレクター(左)から花束を受け取る鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)


引退あいさつで言葉に詰まる鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)


<明治安田生命J1:鹿島1-1ガンバ大阪>◇第12節◇23日◇カシマ

20日に引退を電撃発表した鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が、現役ラストマッチとなったホームのガンバ大阪戦を終えた。引退セレモニーであいさつした後、生中継したNHKBS1のインタビューに応じた。主な一問一答は以下の通り。



-試合を振り返って

「(広瀬)陸斗がけがしたんで、やめるのやめようかなって思ってますけど。うそです。はい」



-引退について

「鹿島の選手としてモヤモヤを抱えたままプレーするのは違うと思っていたので、自分で決断しました」



-チームメートに対して

「いろんな感情が出てしまうので難しい試合にしてしまったなと。勝ち点3がほしかったですけど、ガンバも手ごわい相手でした」



-G大阪の宮本監督が「惜しい。まだやれる」と言っていた

「自分の中では、もっとできるはずだなと思ってますし、自分のプレーではなくなったので、決断しました。(決めたのは)最近ではないです。ずっと長く思ってましたし、契約を全うするのもプロだと思いますけど、プロのプレーができないのであれば決断することも、自分の中でプロだと思います。チームメートに失礼だなと思っていましたし。自分が100(%)でできない中で、みんなは練習を頑張っていたので」



-どのような約75分間のプレーだったか

「本当はもう少し、やれるんですけどね」



-ほかの選手など、引退を惜しむ声が多くの声が耳に届いていた

「ありがたいですし、そういった方々に支えられてプレーしてきました」



-ザーゴ監督や犬飼選手、高井通訳も感極まっていた

「自分は人には恵まれてるんで、それは今後も確信できます。ガンバも、ドイツでも、サッカーを通じて出会える人がいたんで、やってこられた」



-チームについて

「新しく変わろうとしてる鹿島。勝ち点3を取らなければいけないクラブなんですけど、時間が少しかかるのはしょうがない。今日のサッカーを見てもらえれば、だいぶ押し込んでたと思うし、勝ち点を拾いながらやっていくしかない」



-後輩たちに伝えたいことは

「プレーで示せなかったんで、やめます。あとは彼らが頑張ってくれると思います」



-14年半という現役生活はどういうものだったか

「仕事です。仕事が終わった感じです。難しいな、質問が。いい言葉が出ないです。多くの人に支えられてきたことに感謝したいです」



-第2の人生は

「考えてません。考えてませんというか、1つに絞りたくないので、いろいろなことをやっていきたい」



-最後に国内外の視聴者へ

「ドイツでも素晴らしい経験をさせていただいた。すべて僕の力になり、糧となるんで、これからの人生が楽しみです。またどこかでお会いできると思うんで楽しみです」

内田は「アントラーズの歴史」V3オリヴェイラ氏
[2020年8月23日22時37分]


3連覇を達成し喜ぶ鹿島オリベイラ監督(中央)の肩にうれしそうに寄りかかるDF内田篤人(09年12月5日)

<明治安田生命J1:鹿島1-1ガンバ大阪>◇第12節◇23日◇カシマ

20日に引退を電撃発表した鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が、現役ラストマッチとなったガンバ大阪戦を終えて引退セレモニーに姿を見せた。

「カシマの誇り篤人の2を忘れない」など感謝の横断幕がひしめく中、まだ引かない汗をしたたらせながら再登場。ジーコ・テクニカルディレクターから花束を贈呈された。

    ◇   ◇   ◇

引退セレモニーでは鹿島で内田を指導した外国人監督からサプライズでメッセージVTRが届いた。内田が高卒で加入した06年に開幕スタメンに抜てきしたアウトゥオリ氏(現ボタフォゴ監督)は「練習3日目でチャンスを与えることを決めました」。07~09年のリーグ3連覇時に指揮したオリヴェイラ氏は「我々の3連覇にはあなたのアントラーズでの歴史が刻まれています。今後の人生での多くの成功、家族と共に健康であることを願っています」とした。

内田篤人、愛娘抱き最後の雄姿

シャルケ「幸運を祈る」引退内田ねぎらうツイート

土居聖真「鹿島に還元してくれた」内田篤人に感謝

鹿島・内田篤人、セレモニー挨拶全文「努力する姿を見せられない…終わったんだなと」引退理由を吐露

テクニカルディレクターのジーコ氏(左)から花束を受け取った内田。鹿島ファミリーに盛大に見送られた (撮影・蔵賢斗)

 明治安田J1第12節第2日(23日、鹿島1-1G大阪、カシマ)引退する元日本代表DF内田篤人(32)はホームでのG大阪戦後のセレモニーで感謝の思いを口にした。

 きょうぼくは、ここでサッカー選手を引退します。

 鹿島は数多くのタイトルを取ってきて、多くの先輩方が、選手生命を削りながら日々努力してきた姿をぼくは見てきました。ぼくは、その姿を後輩に見せることができない。日々、練習する中で体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーすることは違うのではないか。そして、終わったんだなと考えるようになりました。

 もうひと花、ふた花、咲かせたいと日本に戻ってきましたが、その中で隣に寄り添ってくれたトレーナー、まだやれると背中を押してくれたザーゴ監督、大岩前監督、いいときも悪い時もともに過ごしたサポーター、ファン、スポンサー、そしてチームメート、本当にありがとうございます。

 このようなシーズン、チーム状況でぼくの決断を理解してくださった強化部、監督、チームメート、本当に申し訳ない。

 日の丸を背負ってプレーする重さも、殺気のあるドイツのスタジアム、つらさもうれしさも、すべて私の財産です。

 この話を聞いている、プロサッカー選手を目指す子供たち、サッカー小僧の皆さん、鹿島は少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、そして在籍している選手がみんなの大きな壁となりライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。ぼくはそれを強く願います。

 最後に、サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう。

鹿島・内田篤人、試合終了直前に右足からの“ラストパス”で同点弾演出 引退セレモニーで「すべての人たちに感謝」

前半途中から出場した内田はキャプテンマークを巻いてプレー

 明治安田J1第12節第2日(23日、鹿島1-1G大阪、カシマ)今節限りで現役引退する鹿島のDF内田篤人(32)がホームでのG大阪戦に緊急出場した。前半16分に負傷した右サイドバックの広瀬陸斗(24)の代わりに元日本代表がピッチに立つと、観客席からは大きな拍手。キャプテンマークを受け取り、機を見て攻め上がってチャンスに絡んだ。1-1で引き分けた試合後のセレモーであいさつした。

 背番号2が再びピッチに姿をみせた。現役最後の試合で輝きを放った鹿島のDF内田。試合後のセレモニーで「きょう僕は、ここでサッカー選手を引退します」と切り出すと、しばらく言葉に詰まった。4949人の観衆から温かい拍手が湧き起こる。顔を上げて、32歳でスパイクを置く胸の内を語り出した。

 「日々、練習する中で体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーすることは違うのではないか。そして、終わったんだなと考えるようになりました」

 引き際をのばすことを潔しとしなかった。入団2年目の2007年からリーグ3連覇。「先輩方が選手生命を削りながら勝つために日々努力する姿を見てきた」。駆け抜けた日々が胸を去来すると涙で声が震えた。「僕はその姿を後輩に見せることができない」。鹿島でユニホームを着る誇りと、責任がにじんだ。

 最後の出番は急にやってきた。負傷した右サイドバックのDF広瀬に代わって、0-1の前半16分にピッチへ。MF三竿から譲り受けたキャプテンマークを巻く。15年に手術した右膝、右太もも付近にはテーピングを施していた。


挨拶中、言葉につまる鹿島・内田=県立カシマサッカースタジアム(撮影・蔵賢斗)

 同22分に相手選手にタックルすると、場内からは拍手。右からの正確なクロス、さらに相手を背後から倒し、イエローカードを受ける闘志もみせた。「まだやれる」とザーゴ監督が引きとめたのもうなずける。

 試合終了間際にはドラマが待っていた。内田のロングパスから、最後はDF犬飼が高い打点から頭でたたき込んだ。1-1に追いつくと、直後に試合終了の笛。「勝って終わりたかった」と犬飼は涙。J1通算148試合目で74分プレーした内田は大きく息をついた。

 「サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう」と内田。鹿島でテクニカルディレクターを務めるジーコ氏から花束を受け、歴代監督からのビデオメッセージも流れた。鹿島、ドイツ、そして日本代表で愛された「ウッチー」。ゆっくりと感謝を込めて、場内を一周した。(宇賀神隆)

内田が入団した2006年に鹿島を率いたアウトゥオリ氏
「素晴らしい選手で、プレーを見て、練習3日目で(チャンスを与えると)決めました。素晴らしいキャリアを歩む選手だと確信しました。これからも鹿島のために頑張ってください」

2007年から11年まで鹿島を指揮したオリベイラ氏
「一緒に仕事をすることができて誇りに思っている。われわれの3連覇には、あなたの歴史が刻まれています。今後の人生で多くの成功と、家族の健康を願います」

内田が2010~17年まで所属したシャルケ公式ツイッター
「親愛なるウッシーへ。約14年間の現役生活お疲れさまでした。シャイな青年がたくましい選手と父親になってクラブを離れるまでの7年間はシャルケにとってもすてきな時間となりました。忘れられない多くの思い出を本当にありがとう。グリュック・アウフ(幸運を祈るの意味)」

鹿島DF内田を見いだした担当スカウト、椎本氏もねぎらい「惜しまれて引退するから幸せ」
[ 2020年8月24日 05:30 ]

鹿島DF内田が引退 ( 2020年8月23日 )


清水東時代の内田篤人
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 鹿島DF内田を見いだした椎本邦一チーフスカウト(62)が、当時を振り返りつつ背番号2をねぎらった。
 清水東高時代の内田は線が細く守備力もまだまだだったというが、攻撃センスは群を抜いていたという。「鹿島の右サイドバックは攻撃ができないとダメ。当時からキックもうまかった」。加えてほれ込んだのは頭のよさ。「先輩のアドバイス一つにしても、自分に必要なものとそうでないものを見分けられる。頭のいい子」と話した。12日のルヴァン杯(清水戦)の試合後、内田から着信があった。気がついたのは翌朝だったが「引退を決めたんだな」と幕引きが近いことを感じた。椎本氏は「惜しまれて引退するから幸せだと思う。本当にお疲れさま」とねぎらいの言葉を贈った。

鹿島同期も内田に“お疲れさま” 佐々木は期待「JFA会長とかサッカー界に携わって」
[ 2020年8月24日 05:30 ]

鹿島DF内田が現役ラストマッチ ( 2020年8月23日 )


鹿島入団時の佐々木竜太(左端)、内田篤人(右から2人目)と大道広幸(右端)
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 鹿島入団の同期2人が戦友の引退を惜しんだ。東京都社会人リーグ1部南葛SCのFW佐々木竜太は「新人の頃から試合に出てプレッシャーや心労があることは感じていた。でも弱音を吐くところは見たことがない」と振り返った。当時は内田、FW遠藤と3人で夜の海までドライブし、リフレッシュしていたという。

 15年に現役引退し、自動車販売店に勤める大道広幸さんは「今とは時代が違ってシーズン中に飲みに行く先輩もいた中(内田は)うまく断っていた。サッカーに関して本当に真面目だった」と指摘した。

 引退後については、「何らかの形でサッカー界に携わってほしい。JFA(日本サッカー協会)の会長とか」(佐々木)と期待を寄せていた。

内田 恩師メッセージに涙…鹿島入団時のアウトゥオリ氏、3連覇時に指揮オリヴェイラ氏がねぎらう
[ 2020年8月24日 05:30 ]

明治安田生命J1第12節 鹿島1―1G大阪 ( 2020年8月23日 カシマ )


<内田篤人引退セレモニー>引退あいさつの途中で言葉を詰まらせる内田(撮影・篠原岳夫)
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 試合後の引退セレモニーでは2人の恩師からメッセージが送られ、鹿島DF内田は涙を浮かべながらビジョンを見つめた。
 06年に高卒新人の内田を開幕スタメンで起用したアウトゥオリ氏は「練習3日目で起用を決めた」と明かしつつ、「篤人、全身全霊でやってくれたことに感謝します」とねぎらった。07年からのリーグ3連覇時に指揮したオリヴェイラ氏は「3連覇にはあなたの鹿島での歴史が刻まれている。引退は終わりでなく、新たな人生が大きく飛躍する始まり。今後の人生の幸せを」と呼びかけた。

ウッチーの鹿島愛よ永遠に!涙の引退セレモニー“常勝軍団の魂”サッカー小僧に届け
[ 2020年8月24日 05:30 ]

明治安田生命J1第12節 鹿島1―1G大阪 ( 2020年8月23日 カシマ )


<内田篤人引退セレモニー>ジーコTD(左)から花束を受け取る内田(撮影・篠原岳夫)
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 明治安田生命J1は各地で7試合が行われ、鹿島は1―1でG大阪と引き分けた。この試合を最後に現役引退する元日本代表DF内田篤人(32)は、味方の負傷を受け前半16分から緊急出場。古傷の右膝が万全でない中、果敢なオーバーラップを繰り返し、終了間際には同点弾の起点となった。試合終了直後には涙を浮かべ、引退セレモニーでは感謝の言葉とともに「ウッチー節」もさえ渡った。

 無我夢中で駆け抜けた14年半だった。そのラストプレーが同点弾につながった。終了間際、内田が逆サイドへクロス。魂のこもったボールを後輩たちは前線で必死につなぎ、最後は上がったDF犬飼が頭で押し込んだ。

 「いろんな感情が出てしまうゲームだった。でも僕は人に恵まれている。素晴らしい選手、監督に囲まれてプレーできた」。試合終了の笛を聞き、涙がこみ上げた。ユニホームで必死に隠した。

 緊急出場だった。前半16分、負傷したDF広瀬と交代し、MF三竿からキャプテンマークを受け取った。「陸斗(広瀬)がケガしたんで、辞めるのやめようかなって思ってますけど。ウソです」と笑ったが、試合中に何度も右足のテーピングを巻き直すほど、満身創痍(そうい)。それでも果敢なオーバーラップで74分間、常勝軍団の信念を体現した。

 シャルケ時代の15年6月に右膝膝蓋腱(しつがいけん)を手術。それが最後まで重く響いた。「ずっと(引退を)考えていた。自分が100%でできない中で、チームメートは一生懸命練習し、試合に出ている。鹿島の選手としては自分が許せなかった」。幕引きが近いのは分かっていた。

 それでも使命があった。絶えず優秀な選手を輩出するドイツの育成システムに感銘を受け、「自分の国を強くする、経験を伝えていくことは大事」と古巣に戻り、言葉で、背中で経験を伝えた。犬飼は「ケガで満足に動けない中、必要な言葉掛けやプレーができる人」と涙ぐむ。バトンはつながれた。

 鹿島を愛し、鹿島に愛された男がピッチを去る。「ドイツで素晴らしい経験をして、日本でも日の丸を背負ってW杯に出させていただいた。全て僕の力となり糧となる。これからの人生が凄く楽しみ」。表情は晴れやかだった。

 ◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年(昭63)3月27日生まれ、静岡県函南町出身の32歳。清水東高から06年鹿島加入。07~09年のリーグ3連覇に貢献し、10年7月にシャルケに移籍。17年8月からのウニオン・ベルリンを経て、18年1月に鹿島に復帰した。J1通算148試合3得点。ドイツ1部通算104試合1得点。08年1月の国際親善試合チリ戦でA代表デビューし、国際Aマッチ通算74試合2得点。1メートル76、67キロ。利き足は右。

名良橋晃氏「篤人以外には考えられなかった」 鹿島右SB先輩として引退ねぎらう「背番2渡してよかった」
[ 2020年8月24日 07:00 ]

明治安田生命J1第12節 鹿島1―1G大阪 ( 2020年8月23日 カシマ )


<内田篤人引退セレモニー>内田を惜しむたくさんのスタンドの横断幕に向かって頭を下げる内田(撮影・篠原岳夫)
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 篤人と初めて会ったのは彼が入団する前年、2005年夏、鹿島の練習に参加したとき。2タッチゲームなどでいいプレーを見せていた。本田、小笠原、本山ら日本代表級の選手がズラリと並ぶ中、物おじせずに堂々とやっていた。その後入団が決まり、一緒にプレーできたことはうれしかった。

 スピードが特長で縦への推進力があった。クレバーで、サイドバックの型を変えた。僕は06年限りで契約満了となったので、一緒にできたのは1年間だったが、退団するとき強化部長の鈴木満さんに「僕の背番号2番を篤人につけさせてほしい。彼が嫌だといってもぜひ」とお願いした。僕がジョルジーニョから受け継いだ2番は篤人以外には考えられなかったし、他の選手に譲りたくなかった。翌年2番をつけてくれて、正直ホッとした。その年から鹿島はリーグ戦で3連覇したが、彼は僕が考えていた以上の「2番」になり、僕を超えた。背番号2を渡して良かったと思っている。

 僕が鹿島を離れた後も気になって篤人のプレーはよく見ていた。解説者になり、シーズン中にスタジアムで会ったときはいつも僕がパワーをもらっていた。鹿島でも欧州でも日本代表でも活躍し、日本だけでなく、世界にもインパクトを残した。まだ32歳で、一ファンとしては「正直もっとプレーを見たかった」と思うが、こればかりは仕方がない。

 次の2番は誰か気になるところだが、なかなか見当たらない。それぐらい篤人の存在は大きかった。(元日本代表DF)

 ◆名良橋 晃(ならはし・あきら)1971年(昭46)11月26日生まれ、千葉市出身の48歳。千葉英和高から90年に湘南の前身・フジタ入り。攻撃的なサイドバックとして注目される。97年に鹿島に移籍、日本代表でも活躍し、W杯フランス大会にも全3試合出場した。07年に湘南に復帰したが、同年限りで引退。SC相模原の下部組織の指導者を経て現在は解説者。

【鹿島】内田篤人「サッカー選手として終わったんだなと」「鹿嶋は少し田舎ですが…」 引退あいさつ

【鹿島】最後までウッチーらしく「また会いましょう」現役ラストプレーで同点弾演出…美学貫き14年半駆け抜けた
2020年8月24日 6時0分スポーツ報知


内田篤人の年表


引退セレモニーを終え、一緒にピッチを一周した長女を優しく見つめる鹿島・内田(カメラ・宮崎 亮太)


◆明治安田生命J1リーグ第12節 鹿島1―1G大阪(23日・カシマスタジアム)

 引退を表明した元日本代表DF内田篤人(32)が、現役最後のG大阪戦に臨んだ。味方の負傷で前半16分に途中交代でピッチに立ち、74分間、魂のこもったプレーを披露。引退の原因となった右膝の痛みをこらえ、必死にプレーする姿には、14年半、内田が大事にしてきた思いが込められていた。


前半、右サイドを駆け上がる鹿島・内田(カメラ・宮崎 亮太)

 最後まで信念を貫き通した。1点を追う後半ロスタイム。ハーフラインを越えたところから、内田がゴール前にクロスを送った。GKが届かず、相手DFの高さが及ばない位置へ。味方がこぼれ球をつないだ先に、DF犬飼の同点弾が待っていた。現役最後のボールタッチは敗色濃厚のチームを救う起点になった。数十秒後に終了のホイッスル。ユニホームに顔をうずめた。


内田へのメッセージを掲げる鹿島サポーター

 予想しなかった形で出番がやってきた。同じ右サイドバックのDF広瀬が負傷すると、ザーゴ監督に呼ばれた。ピッチ脇に立つ。前半16分、一礼してピッチに入ると、MF三竿から譲り受けた主将マークを左腕に巻き、最後のプレーが始まった。


引退する鹿島・内田に向けた横断幕

 20日に現役引退を表明し、G大阪戦を最後の試合とすると発表した。15年に手術を受けた右膝。そこから派生するけがに苦しみ、最後は自分が思う内田篤人に戻れないと判断した。14年半の現役生活。こだわり抜いたプレーがある。GKが抜かれて、決まったと思ったシュートをゴールライン上でかき出すこと。そして、誰より先に体を投げ出す守備だ。


試合後の引退セレモニーで涙ぐむ内田

 聞けば「だって、かっこいいじゃん」とこだわりの理由を言う。攻撃を持ち味とする反面、守備が軽いと批判を受け、悩み、飛び降りようと屋上まで上がった過去もある。サッカーをする上で最も大事にし、最も欲したのがチームメートからの信頼。DFなら失点を防ぐプレーと考え、14年間磨いてきた。

 ミドルシュートに対して、いち早くスライディングで体を投げ出し、自陣ゴール前では相手の前に体を入れて、ポジションを譲らない。イエローカードももらった。右膝は万全ではなく、踏ん張りが利かない状態でも、こだわりを貫いた。前線につけるパスは正確で、長い距離を走る攻撃参加には、勝利へ向かう魂すら感じた。

右膝痛み耐え 74分間に及んだ内田のラストプレー。味方のことを思い、勝利を目指すプレーの数々。日本を代表する右サイドバック、内田の最後にふさわしいものだった。(内田 知宏)

 ◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日、静岡・函南(かんなみ)町生まれ。32歳。2006年に清水東高から鹿島入りし、右サイドバックとして07~09年のリーグ3連覇に貢献。10年夏にドイツ1部シャルケへ移籍し、17年夏から同2部ウニオン・ベルリンでプレーした後、18年に鹿島復帰。08年北京五輪、10年南アフリカW杯、14年ブラジルW杯日本代表。国際Aマッチ通算74試合2得点。176センチ、67キロ。右利き。既婚。

内田篤人、涙こらえ「選手生命を削る努力見せられない」
清水寿之 2020年8月23日 22時24分


試合後、サポーターの声援に応えて引きあげる鹿島・内田=伊藤進之介撮影

 最後の出番は突然やってきた。

 今月限りでの引退を表明した鹿島の元日本代表DF内田篤人(32)が23日、現役最終戦となる本拠でのガ大阪戦に臨んだ。3試合ぶりにベンチ入りし、味方の負傷で前半16分にピッチへ。MF三竿からキャプテンマークを受け取ると、試合終了の笛が鳴るまで攻守に駆け回った。引退セレモニーでは、ルーキーだった内田を主力に引き上げたアウトゥオリ氏や、ともにリーグ3連覇を成し遂げたオリベイラ氏ら鹿島でともに戦った歴代監督たちのビデオメッセージが流れ、ジーコ・テクニカルディレクターから花束を受け取った。

あの夏、引退の内田から聞いた覚悟 ケガに苦しんだ日々

 内田は2015年に手術して以降、右ひざの故障に悩まされ続けてきた。セレモニーでは時折涙をこらえながら「多くのタイトルを取った鹿島では、多くの先輩が選手生命を削りながら努力していた。いまの僕はそのような姿を後輩に見せることができない」と引退の理由を説明した。

 この日は試合前から特別な空気が流れていた。直前練習ではチームメート全員が内田の背番号「2」の入ったウェアで体を動かした。MF土居聖真は「内田さんのラストマッチ。みんな気持ちの入ったプレーが多かった」。試合も終了間際で同点に追いついた。

 セレモニーの最後、内田は晴れやかに言った。「サッカーを通じて出会えた人たちすべてに感謝。また会いましょう」(清水寿之)

引退を惜しむ声も

 ザーゴ監督(鹿) 引退の内田について「今日のうちのチャンスメイクのほとんどは彼から。チームの決まり事を尊重しながら臨機応変にやることを見せてくれた。若手が見習うところは多い。残念」。

 昌子(ガ) J復帰後初めて古巣の鹿島と対戦。内田の引退について「寂しい。これだけの偉大な選手。満員のスタジアムで送り出してあげたかった」。

     ◇

 セ大阪のMF清武が、ともに日本代表で戦った鹿島のDF内田への思いを胸に先制点を挙げた。前半19分、ペナルティーエリア中央で、タイミングをずらしながら右足で得点。内田の引退表明後に連絡を取り合い、「頑張れ」と励まされたといい、「ずっと支えてもらった。(内田)篤人君の分もと、気持ちも入った」と語った。


試合後、子どもとともにピッチをまわり、引きあげる鹿島・内田=伊藤進之介撮影

J1鹿島・内田篤人、現役引退 「全ての人に感謝」

引退セレモニーでジーコ・テクニカルディレクターから花束を受け取り笑顔の鹿島・内田篤人=カシマスタジアム、吉田雅宏撮影

J1鹿島の元日本代表DF内田篤人の現役最後の試合となる明治安田J1第12節第2日・G大阪戦が23日、カシマスタジアムで行われた。試合後には引退セレモニーが行われ、内田はサポーターに向け、「サッカーを通して出会えた全ての人に感謝します。また会いましょう」と震える声で語った。

試合終了後、温かい拍手が起こると、内田がピッチに戻ってきた。サポーターに向け一礼。涙をこらえるような表情を浮かべ、ジーコ・テクニカルディレクターから花束を受け取った。リーグ3連覇時のオズワルド・オリベイラ元監督ら、共に戦った盟友からのビデオメッセージが流れると、液晶画面を静かに見つめた。

あいさつの第一声は「きょう僕はここでサッカー選手を引退します」。潔く言った後、涙をこらえ、言葉に詰まった。引退の理由については「鹿島は数多くのタイトルを取ってきた裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら、勝つために日々努力してきた姿を僕は見てきました。僕はその姿を今の後輩に見せることができない」と語った。

試合は、終了間際にDF犬飼智也がゴールを決め、1-1で引き分けた。

DF内田篤人が鹿島に残した“子どもたち”への伝言「カシマは少し田舎ですが…」
20/8/23 21:57


鹿島アントラーズDF内田篤人

[8.23 第12節 鹿島1-1G大阪 カシマ]

「そんなに大した話をしないので大丈夫です。今日、僕はここでサッカー選手を引退します。えー、なんだっけな……」。“らしい”前置きから始まった引退セレモニーで、DF内田篤人が鹿島アントラーズに大きな置き土産を残した。

 引退スピーチでクラブ関係者への感謝を語った内田は終盤に「もう少しだけ」と切り出すと、「この話を聞いているプロサッカー選手を目指す子どもたち、サッカー小僧の皆さん」と呼びかけ、次のように熱をこめて語った。

「カシマは少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、そしていま在籍している選手が君たちの大きな壁となり、ライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。僕はそれを強く願います」。

 今季はMF荒木遼太郎、FW染野唯月、FW松村優太、GK山田大樹という世代を代表する高卒ルーキーが加わり、来季も明治大のDF常本佳吾とGK早川友基、大阪体育大のDF林尚輝という大学屈指の選手たちが加入することが決まっている中、プロを志す少年たちへ“スカウト”メッセージを送った形だ。

 現役ラストマッチとなったこの日、前半16分からの緊急出場でウォーミングアップなしにピッチに立ちながら、後半アディショナルタイムのロングフィードで同点ゴールを導き、勝ち点1を手繰り寄せてピッチを去った内田。引退スピーチでも、愛するクラブにもう一つの置き土産を残した。

32歳で引退決断、DF内田篤人は声詰まらせ「もうひと花、ふた花、咲かせたいと…」
20/8/23 22:17


引退セレモニーで声を詰まらせたDF内田篤人

 2006年に清水東高から鹿島に加入して14年半、日本サッカー史にその名を刻んできた偉大なサイドバックがプロサッカー選手生活に幕を閉じた。鹿島アントラーズDF内田篤人は試合後の引退セレモニーで、32歳での決断に至った理由をときおり声を詰まらせながら語った。

「鹿島アントラーズというチームは数多くのタイトルを取ってきた裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら勝つために日々努力する姿を見てきました。僕はその姿をいまの後輩に見せることができないと、日々練習していく中で体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーするのは違うんじゃないか、サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました」。

 鹿島入団後は高卒1年目から常勝軍団のレギュラーを担い、07年からのJリーグ3連覇に大きく貢献した内田。8年間を過ごしたドイツのシャルケでは日本人最多の欧州CL出場など偉大な実績を残し、日本代表でも歴代23位の74試合に出場したが、2015年に負った右膝の怪我がキャリアに大きな影を落とした。それでも内田は18年から過ごした鹿島での2年半に感謝の言葉を紡いだ。

「もうひと花、ふた花、咲かせたいと日本に戻ってきましたが、その中で隣に寄り添ってくれたトレーナー、まだやれると背中を押してくれたザーゴ監督、大岩前監督、いい時も悪い時もともに過ごしたサポーター・ファン、スポンサー、そしてチームメート、本当にありがとうございます」。

 その上で、無念さをうかがわせながらもきっぱりと幕引きを告げた。「このようなシーズン、チーム状況で僕の決断を理解してくださった強化部、監督、そしてチームメート、本当に申し訳ない。日の丸を背負ってプレーする重さも、殺気のあるドイツでのスタジアムも、つらさも、うれしさも、全て僕の財産です」。スピーチの最後はプロサッカー選手を志す少年たちに鹿島を勧める粋なメッセージも残し、「サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう」と語って14年半のキャリアに終止符を打った。

 クラブはこの日、内田に宛てたビデオメッセージをセレモニーで上映。1年目の06年に開幕から先発に抜擢したパウロ・アウトゥオリ氏からは「内田篤人は素晴らしい選手で、チャンスを与えました。プレーを見て練習3日目で決めました。彼は素晴らしいキャリアを歩む選手だと確信しました」という思い出が語られ、07年からの3連覇に導いたオズワルド・オリヴェイラ氏は「われわれの3連覇にはあなたのアントラーズでの歴史が刻まれています。あの素晴らしい雰囲気の中で大粒の涙を流していましたね」と回顧。偉大な背番号2を最大限のリスペクトで送り出した。

「サッカー選手として終わったんだと…」内田篤人が引退セレモニーで決断の真意を明かす。「また会いましょう」
渡邊裕樹(サッカーダイジェストWeb)
2020年08月23日

ファンから「カシマの誇り、篤人の2を忘れない」とのバナーが


引退の挨拶を行なった内田篤人。写真:滝川敏之

 J1リーグ第12節のガンバ大阪戦。劇的なドロー劇を終えたあと、鹿島アントラーズのDF内田篤人が引退セレモニーに臨んだ。

「今日僕はこれでサッカー選手を引退します」と第一声を発すると、「えーなんだっけな」と涙ぐむ場面も見られた。スタジアムに詰めかけた4949人のファンの大きな拍手を受けて、内田は以下のように挨拶を続けた。

「鹿島アントラーズというチームは、多くのタイトルを獲ってきた裏で、多くの先輩方が、選手生命を削りながら日々努力してきた姿を僕は見てきました。

 僕はその姿を今の後輩に見せることができない。日々練習していく中で身体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら、鹿島でプレーすることは違うんじゃないか。サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました。

 もう一花、二花咲かせたいと日本に戻ってきましたが、そのなかで隣に寄り添ってくれたトレーナー。まだやれると背中を押してくれたザーゴ監督、大岩前監督、良い時も悪い時も共に過ごしたサポーター、ファン、スポンサー、そしてチームメイト。本当にありがとうございます。このようなシーズン。チーム状況で僕の決断を理解してくださった強化部、監督、そしてチームメイト。本当に申し訳ない。

 日の丸を背負ってプレーする重さも、殺気のあるドイツでのスタジアム、辛さも嬉しさも、全て僕の財産です」

 さらに「もう少しだけ」と言いこう続けた。

「この話を聞いている、プロ、サッカー選手を目指す子供たち、サッカー小僧の人たち。鹿島は少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、そして今在籍している選手が、君たちの大きな壁となり、ライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。

 僕はそれを強く願います。

 最後に、サッカーを通じて出会えた全ての人たちに感謝します。また会いましょう」

 ファンからは、バックスタンドに「カシマの誇り、篤人の2を忘れない」などのバナーが掲げられていた。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

【鹿島】内田篤人の引退で試合後インタビューはみなが号泣!ザーゴ監督&通訳、劇的同点弾の犬飼智也も「成長した姿を見せたい」
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月23日


ザーゴ監督は「どれだけ愛されている人か分かった」


アディショナルタイムに劇的な同点弾を決めた犬飼。写真:滝川敏之

[J1リーグ12節]鹿島1-1G大阪/8月23日(日)/カシマスタジアム

 気持ちを前面に出し、立ち上がりから攻勢に出た鹿島アントラーズだったが、開始6分にガンバ大阪の小野瀬康介に得点を許す。その後も攻め続ける展開となったが、元鹿島の昌子源をはじめとする相手守備陣を崩せない。終了目前のアディショナルタイム、荒木遼太郎からのクロスを犬飼智也がヘディングで決めて同点に追いつき、試合は劇的な幕切れとなった。

 試合後のフラッシュインタビューに応えた犬飼は「今日は勝ちたかったんでそれだけです。立ち上がりに失点して自分たちで苦しくしてしまった。そこだと思います」と絞り出すと、涙ながらにこう続ける。

「本当は勝ってお疲れと言いたかったです。本当にいっぱい学んだので、また成長した姿を見せたいと思います」とラストマッチとなった内田篤人への想いがあふれ出す。

 ザーゴ監督は、試合をこう振り返った。

「本当は勝ち試合だったのではと思います。チャンスをしっかりと決めていれば。特に前半の失点前のチャンスを決めていればとは思います。先制後は、ガンバが守備に徹したなか、最後に追いつくことができて、臨んだ結果ではなかったですけど、粘り強さは見せられた。良い意味での引き分けになったと思います」

 続けて内田の話に及ぶと、少し目を赤らめるザーゴ監督は、「彼が自分で出した決断なので、我々クラブ関係者はそれを尊重しなければいけない。私は付き合いが短いが、彼がどれだけクラブ、サポーターに愛されている人かは分かった」と語ると、ザーゴ監督の通訳が涙ぐみコメントに詰まる場面も。

「日本のサッカー、アントラーズのためにやり尽くした、その気持ちを我々がくみ取って、彼がこれから歩む人生に、多くの幸せがあることを願っています」と監督、通訳ともに涙ぐむなど、内田がいかに愛されていたのかを窺わせるインタビューとなった。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

【鹿島】「先輩たちの姿は受け継がれている」内田篤人の引退に、クラブ生え抜き10年目・土居聖真の決意
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月24日


「篤人さんは鹿島に還元してくれていた」


クラブ生え抜きの土居は、内田からバトンを受け継ぐ決意を見せた。写真:滝川敏之

[J1リーグ12節]鹿島1-1G大阪/8月23日(日)/カシマスタジアム

 鹿島アントラーズの内田篤人の引退試合は、6分に先制されるものの、後半アディショナルタイムに追いつき1-1の引き分けで終わった。

 リーグ戦11試合全てに出場し、ここ3試合は先発フル出場のMF土居聖真は試合後にこう振り返った。

「内田さんのラストマッチ。みんな気持ちの入ったプレーも多かったですし、終始圧倒していたと思いますが、なかなか点が取れないのがうちの課題かなと思います。ここ数試合そうでしたけど、ボールを保持しながらも、点を取った後とかに点を取られることも多いですし、今日は勝点1を拾えたというのが率直な感想かなと思います」

 また、久しぶりのトップ下での起用には、「トップ下で久々に先発で使ってもらったので、結果が欲しいなと思っていて、相手の嫌なところだったり、危険なところに絡んでいかなければと思っていました。アタッキングサードのところでなかなか変化の見られない試合が多かったので、相手のギャップを突いたり、足もとで受けたり、間で受けたり、裏に抜けたりといろんなバリエーションを試みました。得点には繋がらなかったですけど、やり続けるしかないのかなと思います」と決意を新たにした。

 試合後の引退セレモニーについては、「篤人さんも先輩たちの背中を見て育って、それを表現して鹿島に還元してくれていたと思いますし、本当に僕もずっと身近で肌で感じて、行動や言動、すごく心に響く言葉をたくさん見たり聞いたりしてきました。しっかり鹿島の先輩たちの姿というのは受け継がれていると思います」と語る。

 緊急出場から74分間。試合終了まで走り抜けた内田篤人の活躍は、ジュニアユースから所属するプロ10年目の生え抜きアタッカーにも、しっかりと刻まれたようだ。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

「サッカー選手として終わったと考えた」内田篤人、引退決断の理由語る 「サッカー小僧」へもメッセージ
 鹿島アントラーズに所属するDF内田篤人が23日に行われた明治安田生命J1リーグ第12節のガンバ大阪戦をもって、2006年からのプロサッカー選手生活に幕を閉じた。

 試合後、引退セレモニーで挨拶をした内田は「そんな大した話はしないので、大丈夫です」と、相変わらずの言葉で切り出す。2019年から“常勝軍団”鹿島の主将を務めた内田は、「鹿島アントラーズというチームは数多くのタイトルを獲った裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら、勝つために日々努力をしてきた姿を僕は見てきました。僕はその姿を今の後輩に見せることができない、日々練習していく中で、身体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーすることは違うんじゃないかと、サッカー選手として終わったんだなと、考えるようになりました」と、引退の理由として、長年苦しんだ右ヒザのケガなど、プロ選手、主将としてあるべき姿を示せないことで、シーズン途中での幕引きを決めたことを、時折声を詰まらせながら明かした。

 ザーゴ監督や大岩剛前監督、トレーナーやクラブスタッフ、そしてファン・サポーターへの感謝の言葉も口にした内田。「このようなシーズン、チーム状況で僕の決断を理解してくださった強化部、監督、そしてチームメイト、本当に申し訳ない。日の丸を背負ってプレーする重さも殺気のあるドイツでのスタジアム、辛さも嬉しさもすべて僕の財産です」と、続ける。

「大した話はしないので」と切り出していた内田だったが、最後に「もう少しだけ」と、将来の日本サッカー界を担うであろう子どもたちへのメッセージを送った。

「この話を聞いているプロサッカー選手を目指す子どもたち、サッカー小僧の皆さん、鹿嶋は少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、そして今在籍している選手が君たちの大きな壁となり、ライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。僕はそれを強く願います」

 最後は「サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう」と笑顔で話した内田。鹿島と古巣であるシャルケのユニフォームを着た2人の子どもと場内を回り、サポーターも多くの拍手で内田の新たな門出を送り出している。


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いろいろな方々からの想いや、受けてきた恩に対して感謝の気持ちがあるからこそ、今の自分の姿、もっと出来ると思う気持ちと身体のギャップに悩んでいたんでしょうね。
ひと言ひと言に鹿島の選手である重みと、これからの鹿島への愛情があふれる言葉でした。
残された選手、スタッフ、サポーターみんなが内田選手の想いや持ってた誇りを胸に邁進していかないといけませんね。

No title

篤人、ピッチに立てば別格です。
マイクの前でも別格です。

将来の鹿島の現場やフロント入りはあるのかな。
内田ジャパン🇯🇵も見たいな。
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Fundamentalism

Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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