なぜ鹿島アントラーズは”レジェンドOB”をスタッフに集結させたのか
”レジェンドOB”をスタッフに集結させた理由について記すTHE PAGEの藤江氏である。
昨日の2021シーズンの新体制事業発表会見にて柳沢敦ユース監督、當間建文ユースコーチ、佐藤昭大ジュニアユースGKコーチの就任が発表され、昨季にて引退した曽ヶ端準氏はアシスタントGKコーチに就任したことが公表された。
そして、熊谷浩二コーチ、相馬直樹コーチ、佐藤洋平GKコーチ、中田浩二CRO、小笠原満男TAとOBが名を連ねておる。
かつて現役時代に鹿島にて活躍したメンバーが集結するこのクラブの方針はどのようなものかという問いに対して、ジーコのコメントを引用する。
「哲学をクラブとして確立し、継続して取り組んできたからこそ、ここまでの実績を残せるクラブになった」。
鹿島アントラーズには"哲学"がある。
それを身に付けたからこそチームにて貢献出来る。
貢献してきた選手が引退して、"哲学"を育成年代に還元することとなる。
これほど素晴らしいことがあるのであろうか。
たのクラブには哲学があるのかどうかは知らぬ。
そして現役時代に十分な実績を残したOBが数多くいるクラブも他にはあるまい。
鹿島アントラーズだからこそ可能となった"哲学"の継承である。
この方針を貫き、多くの"哲学者"を輩出していこうではないか。
楽しみである。

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なぜ鹿島アントラーズは柳沢、小笠原、相馬、中田ら”レジェンドOB”をスタッフに集結させたのか?
ゴールを奪うだけでなく、周囲を生かす術にも長けた万能型のストライカーとして日本代表でも活躍した柳沢敦氏(43)が、今シーズンから古巣・鹿島アントラーズのユース監督に就任することになった。
クラブ創設30周年の節目を迎える2021シーズンの新体制事業が発表された26日に、鹿島の小泉文明代表取締役社長が明らかにした。ベガルタ仙台でプレーした2014シーズン限りで現役を退き、翌シーズンから鹿島で指導者の道を歩み始めていた柳沢氏にとって初めて挑む監督業となる。
「アカデミーにおいては、これまでOBやクラブレジェンドをスタッフとして継続的に登用して、フットボールの質を高めて強化をしてきました」
オンライン形式で行われた新体制事業発表会見で、小泉社長はこれまでアカデミーが歩んできた流れを踏まえながら、レジェンドの一人である柳沢氏のユース監督就任に象徴される、鹿島出身者をさらに積極的に登用していく意義を、Jリーグを代表する常勝軍団の歴史に重ねながら説明した。
「アントラーズのこれまでの30年を支えてくれたOBの方々のノウハウであるとか知識、経験を生かして、次の30年、50年、100年と続く強いアントラーズを作るべく、アカデミーを含めたフットボールの質を全体的に強化していきたいと考えています」
トップチームへ直結するユースは、ともに昨シーズン限りで引退したGK曽ヶ端準とMF野沢拓也をはじめ、今シーズンの所属選手ではMF土居聖真を筆頭に沖悠哉、山田大樹の両GK、ルーキーのMF舩橋佑を輩出。ベルギーリーグでゴールを量産している、24歳のFW鈴木優磨(シントトロイデン)も小学生年代のスクールから鹿島ひと筋で育ち、2015シーズンにユースから昇格した。
次世代のホープを育てる大役を新たに担う柳沢氏は、13ものJクラブが争奪戦を繰り広げたなかで、富山第一高から1996シーズンに鹿島へ加入。セリエAのサンプドリア、メッシーナでプレーした約2年半をはさんで2007シーズンまで在籍し、11個のタイトル獲得に貢献した。
当時30歳だった柳沢氏は出場機会を求めて2008シーズンから京都サンガF.C.へ、2011シーズンからは仙台へ移籍。J1でマークした通算108ゴールのうち「80」を鹿島時代に決めたキャリアを残して引退し、2015シーズンからはトップチームのコーチとして8年ぶりに古巣へ復帰した。
しかし、2018年6月上旬に発売された女性週刊誌に女性関係に関するスクープが掲載された柳沢氏は、チームの規律に違反したとして鹿島から無期限の自宅謹慎処分を科された。週刊誌の発売直後に申し出ていた辞表が受理される形で、柳沢氏は同8日に鹿島を退団している。
そして、約半年後の2019年1月からユースチームのコーチとして鹿島に復帰した。鹿島出身の中村幸聖前監督のもとで、未来のある子どもたちを育てた2年間を経ての監督就任は再出発にかける姿勢が評価された証であり、OBを大切にする鹿島の方針の象徴でもある。柳沢氏はJクラブの監督を務めるために必要な、最上位のS級ライセンス取得を目指す2020年度の受講者にも名前を連ねている。
さらにユースのコーチには、東海大第五高(福岡)から加入した2007シーズンに鹿島でプロのキャリアをスタートさせ、FC岐阜でプレーした2019シーズンを最後に引退。昨年は鹿島のスクールコーチを務めていた當間建文氏が就任し、柳沢新監督を支えていくことになった。
中学年代のジュニアユースのゴールキーパーコーチには、モンテディオ山形でプレーした昨シーズン限りで引退した佐藤昭大氏が就任。サンフレッチェ広島でプロ人生をスタートさせた佐藤氏もまた、2010シーズンから6年間にわたって鹿島に所属しているOBとなる。
31歳の當間氏も34歳の佐藤氏も、鹿島では公式戦出場にほぼ無縁だった。J1リーグで言えば前者は3試合、後者は10試合の出場にとどまっている。それでも在籍時に何度も薫陶を受けた、献身、誠実、尊重を三本柱とする「ジーコ・スピリット」をたぎらせながら、現役生活を駆け抜けた。
Jリーグの発足を前に前身の住友金属で現役復帰し、日本リーグ2部を戦っていたチームを常勝軍団へ昇華させる礎を作り上げた元ブラジル代表の英雄で、いま現在もテクニカルディレクターを務める神様ジーコは、創設30周年を迎える鹿島の特設ウェブサイトへこんなコメントを寄せている。
「発足当時、私はアントラーズに合った必要なものを探し、選手として培った経験などを伝え、勝者の哲学を植え付けてきました。その哲学をクラブとして確立し、継続して取り組んできたからこそ、ここまでの実績を残せるクラブになったのだと思います。私が願うことは、これからも決して哲学を変えてはいけないということです」(原文ママ)
ジーコが言及した「これからも決して哲学を変えてはいけない」を実践する道が、鹿島に脈打ってきたイズムを熟知するOBたちを、積極的かつ継続的にスタッフとして登用することになる。
例えば2018シーズン限りで惜しまれながら引退したレジェンドの一人、小笠原満男氏(41)は鹿島のテクニカルアドバイザーとして、小泉社長の説明によれば「引き続きユースを中心に、技術向上のための指導を行っていきます」と柳沢監督とともに次世代を育てる仕事を担う。
トップチームに目を向ければ、2年目の指揮を執るザーゴ監督を支えるコーチ陣に相馬直樹氏(49)、熊谷浩二氏(45)のOBが名前を連ね、黎明期に守護神を担ったゴールキーパーコーチの佐藤洋平氏(48)をサポートする、アシスタントコーチとして曽ヶ端氏が今シーズンから加わっている。
他のチームでプレーする選択肢もあったと明かす、鹿島ひと筋で23年間プレーした41歳の曽ヶ端氏は、最終的に引退を決めた理由を抱き続けたチームへの愛情に帰結させている。
「他のチームでプレーすることに、自分自身の気持ちの部分で乗ってくるところがなかったのが正直な思いです。選手として鹿島でこれだけ長くプレーして、鹿島で終われる幸せもすごく感じています。この先も鹿島でチームのために働ける話をいただき、チャレンジしたいと思いました」
小笠原氏や曽ヶ端氏の同期で、2014シーズン限りで引退した中田浩二氏(41)はクラブ・リレーションズ・オフィサー(CRO)に就任。協賛企業や各種団体、行政機関やステークホルダーと鹿島を繋ぐ活動に従事するなど、ピッチとは離れた部分でクラブ運営をサポートし続けている。
2018年のACL制覇を最後に、トップチームは2シーズン連続の無冠に終わっている。主力選手の大半が残留し、タイトル奪回へ向けて捲土重来を期していくJ1屈指の名門軍団を、輝かしい栄光を作り上げてきたOBやレジェンドたちが縁の下でしっかりと支えながら伝統を紡いでいく。
(文責・藤江直人/スポーツライター)
昨日の2021シーズンの新体制事業発表会見にて柳沢敦ユース監督、當間建文ユースコーチ、佐藤昭大ジュニアユースGKコーチの就任が発表され、昨季にて引退した曽ヶ端準氏はアシスタントGKコーチに就任したことが公表された。
そして、熊谷浩二コーチ、相馬直樹コーチ、佐藤洋平GKコーチ、中田浩二CRO、小笠原満男TAとOBが名を連ねておる。
かつて現役時代に鹿島にて活躍したメンバーが集結するこのクラブの方針はどのようなものかという問いに対して、ジーコのコメントを引用する。
「哲学をクラブとして確立し、継続して取り組んできたからこそ、ここまでの実績を残せるクラブになった」。
鹿島アントラーズには"哲学"がある。
それを身に付けたからこそチームにて貢献出来る。
貢献してきた選手が引退して、"哲学"を育成年代に還元することとなる。
これほど素晴らしいことがあるのであろうか。
たのクラブには哲学があるのかどうかは知らぬ。
そして現役時代に十分な実績を残したOBが数多くいるクラブも他にはあるまい。
鹿島アントラーズだからこそ可能となった"哲学"の継承である。
この方針を貫き、多くの"哲学者"を輩出していこうではないか。
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なぜ鹿島アントラーズは柳沢、小笠原、相馬、中田ら”レジェンドOB”をスタッフに集結させたのか?
ゴールを奪うだけでなく、周囲を生かす術にも長けた万能型のストライカーとして日本代表でも活躍した柳沢敦氏(43)が、今シーズンから古巣・鹿島アントラーズのユース監督に就任することになった。
クラブ創設30周年の節目を迎える2021シーズンの新体制事業が発表された26日に、鹿島の小泉文明代表取締役社長が明らかにした。ベガルタ仙台でプレーした2014シーズン限りで現役を退き、翌シーズンから鹿島で指導者の道を歩み始めていた柳沢氏にとって初めて挑む監督業となる。
「アカデミーにおいては、これまでOBやクラブレジェンドをスタッフとして継続的に登用して、フットボールの質を高めて強化をしてきました」
オンライン形式で行われた新体制事業発表会見で、小泉社長はこれまでアカデミーが歩んできた流れを踏まえながら、レジェンドの一人である柳沢氏のユース監督就任に象徴される、鹿島出身者をさらに積極的に登用していく意義を、Jリーグを代表する常勝軍団の歴史に重ねながら説明した。
「アントラーズのこれまでの30年を支えてくれたOBの方々のノウハウであるとか知識、経験を生かして、次の30年、50年、100年と続く強いアントラーズを作るべく、アカデミーを含めたフットボールの質を全体的に強化していきたいと考えています」
トップチームへ直結するユースは、ともに昨シーズン限りで引退したGK曽ヶ端準とMF野沢拓也をはじめ、今シーズンの所属選手ではMF土居聖真を筆頭に沖悠哉、山田大樹の両GK、ルーキーのMF舩橋佑を輩出。ベルギーリーグでゴールを量産している、24歳のFW鈴木優磨(シントトロイデン)も小学生年代のスクールから鹿島ひと筋で育ち、2015シーズンにユースから昇格した。
次世代のホープを育てる大役を新たに担う柳沢氏は、13ものJクラブが争奪戦を繰り広げたなかで、富山第一高から1996シーズンに鹿島へ加入。セリエAのサンプドリア、メッシーナでプレーした約2年半をはさんで2007シーズンまで在籍し、11個のタイトル獲得に貢献した。
当時30歳だった柳沢氏は出場機会を求めて2008シーズンから京都サンガF.C.へ、2011シーズンからは仙台へ移籍。J1でマークした通算108ゴールのうち「80」を鹿島時代に決めたキャリアを残して引退し、2015シーズンからはトップチームのコーチとして8年ぶりに古巣へ復帰した。
しかし、2018年6月上旬に発売された女性週刊誌に女性関係に関するスクープが掲載された柳沢氏は、チームの規律に違反したとして鹿島から無期限の自宅謹慎処分を科された。週刊誌の発売直後に申し出ていた辞表が受理される形で、柳沢氏は同8日に鹿島を退団している。
そして、約半年後の2019年1月からユースチームのコーチとして鹿島に復帰した。鹿島出身の中村幸聖前監督のもとで、未来のある子どもたちを育てた2年間を経ての監督就任は再出発にかける姿勢が評価された証であり、OBを大切にする鹿島の方針の象徴でもある。柳沢氏はJクラブの監督を務めるために必要な、最上位のS級ライセンス取得を目指す2020年度の受講者にも名前を連ねている。
さらにユースのコーチには、東海大第五高(福岡)から加入した2007シーズンに鹿島でプロのキャリアをスタートさせ、FC岐阜でプレーした2019シーズンを最後に引退。昨年は鹿島のスクールコーチを務めていた當間建文氏が就任し、柳沢新監督を支えていくことになった。
中学年代のジュニアユースのゴールキーパーコーチには、モンテディオ山形でプレーした昨シーズン限りで引退した佐藤昭大氏が就任。サンフレッチェ広島でプロ人生をスタートさせた佐藤氏もまた、2010シーズンから6年間にわたって鹿島に所属しているOBとなる。
31歳の當間氏も34歳の佐藤氏も、鹿島では公式戦出場にほぼ無縁だった。J1リーグで言えば前者は3試合、後者は10試合の出場にとどまっている。それでも在籍時に何度も薫陶を受けた、献身、誠実、尊重を三本柱とする「ジーコ・スピリット」をたぎらせながら、現役生活を駆け抜けた。
Jリーグの発足を前に前身の住友金属で現役復帰し、日本リーグ2部を戦っていたチームを常勝軍団へ昇華させる礎を作り上げた元ブラジル代表の英雄で、いま現在もテクニカルディレクターを務める神様ジーコは、創設30周年を迎える鹿島の特設ウェブサイトへこんなコメントを寄せている。
「発足当時、私はアントラーズに合った必要なものを探し、選手として培った経験などを伝え、勝者の哲学を植え付けてきました。その哲学をクラブとして確立し、継続して取り組んできたからこそ、ここまでの実績を残せるクラブになったのだと思います。私が願うことは、これからも決して哲学を変えてはいけないということです」(原文ママ)
ジーコが言及した「これからも決して哲学を変えてはいけない」を実践する道が、鹿島に脈打ってきたイズムを熟知するOBたちを、積極的かつ継続的にスタッフとして登用することになる。
例えば2018シーズン限りで惜しまれながら引退したレジェンドの一人、小笠原満男氏(41)は鹿島のテクニカルアドバイザーとして、小泉社長の説明によれば「引き続きユースを中心に、技術向上のための指導を行っていきます」と柳沢監督とともに次世代を育てる仕事を担う。
トップチームに目を向ければ、2年目の指揮を執るザーゴ監督を支えるコーチ陣に相馬直樹氏(49)、熊谷浩二氏(45)のOBが名前を連ね、黎明期に守護神を担ったゴールキーパーコーチの佐藤洋平氏(48)をサポートする、アシスタントコーチとして曽ヶ端氏が今シーズンから加わっている。
他のチームでプレーする選択肢もあったと明かす、鹿島ひと筋で23年間プレーした41歳の曽ヶ端氏は、最終的に引退を決めた理由を抱き続けたチームへの愛情に帰結させている。
「他のチームでプレーすることに、自分自身の気持ちの部分で乗ってくるところがなかったのが正直な思いです。選手として鹿島でこれだけ長くプレーして、鹿島で終われる幸せもすごく感じています。この先も鹿島でチームのために働ける話をいただき、チャレンジしたいと思いました」
小笠原氏や曽ヶ端氏の同期で、2014シーズン限りで引退した中田浩二氏(41)はクラブ・リレーションズ・オフィサー(CRO)に就任。協賛企業や各種団体、行政機関やステークホルダーと鹿島を繋ぐ活動に従事するなど、ピッチとは離れた部分でクラブ運営をサポートし続けている。
2018年のACL制覇を最後に、トップチームは2シーズン連続の無冠に終わっている。主力選手の大半が残留し、タイトル奪回へ向けて捲土重来を期していくJ1屈指の名門軍団を、輝かしい栄光を作り上げてきたOBやレジェンドたちが縁の下でしっかりと支えながら伝統を紡いでいく。
(文責・藤江直人/スポーツライター)