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サイゴンFC・高崎寛之、新天地ベトナムでゴール量産を目指すベテランFW

サイゴンFCの高崎寛之を取材した@DIMEの元川女史である。
移籍の背景やベトナムのサッカー事情などが語られる。
この海外移籍にて何かを掴み取ることであろう。
また、現役の最後に松本山雅FCにてプレーする意向を示す。
この願いを叶えられるのかはクラブの懐次第と言えよう。
貢献者に対してどのような対応をするのか数年後に注目したい。

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34歳で選んだ海外挑戦、新天地ベトナムでゴール量産を目指すベテランFW高崎寛之
2021.01.27


Photo by Masashi Hara - JL/Getty Images

 新型コロナウイルス拡大が続く日本とは対照的に、東南アジア諸国は比較的、感染が抑えられている。中でもベトナムは1月20日の新規感染者が4人とほぼ完璧にコロナを封じ込めている状態だ。

 世界的にも賞賛されるこの国で1月15日に2021年ベトナムリーグ(Vリーグ)が開幕。元日本代表・松井大輔所属のサイゴンFCも17日にホアンアイン・ザライFCとの開幕戦を迎え、1-0で勝利。幸先のいいスタートを切った。

 同クラブにもう1人の日本人助っ人として今季加入したのが、34歳の長身FW高崎寛之。茨城県出身で、駒澤大学を経て、2008年に浦和レッドダイヤモンズでプロキャリアをスタートさせて以来、水戸ホーリーホック、ヴァンフォーレ甲府、徳島ヴォルティス、鹿島アントラーズ、モンテディオ山形、松本山雅、FC岐阜とJ1~J3の8クラブでプレー。Jリーグ通算331試合出場86ゴールという実績を残したベテランだ。北は山形から南は徳島まで日本各地を転々とした百戦錬磨の点取屋も海外挑戦は初めて。本人はワクワクした気持ちで新天地へ赴いたという。

新たな環境で自分に何ができるのか

「岐阜からは契約延長のオファーを受けていたんですが、11月末にベトナムの話をいただいて『このままJにいて歳を取って引退するんじゃなくて、知らない環境で新たな挑戦をしてみたい』と異国に行く決意をしました。サイゴンFCはオーナーが日本に長く住んでいた人で『日本人選手にチームの底上げをしてほしい』と考えていた。松井さんや僕、元岐阜の苅部龍太郎、元栃木SCのウ・サンホの4人を補強したのもそういう意図があったから。自分もやりがいがあると感じて、12月25日に日本を離れました」

 同日中にホーチミンに到着した高崎を待っていたのは、2週間の厳しい隔離生活だった。コロナ感染者を抑え込んでいるベトナムでは海外入国者の管理を徹底している。彼は窓も開かないホテルの一室から一歩も外に出られず、室内にあるトレーニング器具で最低限のコンディション維持に努め、与えられた食事を摂るという生活を強いられた。

「1月9日に隔離が終わって外に出た時は心からホッとしました(苦笑)。10日からやっと練習参加できましたが、最初に驚いたのはボコボコのグランド。それも複数の場所をバスで転々とする環境で、もちろんクラブハウスもない。シャワーもホテルに戻ってようやく浴びられる感じです。
 選手たちのレベルもJ3くらいかな。FWの自分が前線に張って『ここにボールを出してくれ』と要求しても、ベトナム人選手はほぼドリブルからプレーに入るんで、前を見ることができない。となるとボールも出てきませんし、なかなかストレスの貯まる状態が続いています」

 1月17日の開幕戦は外国人枠の問題で高崎はベンチ外となり、外からゲームを見ることになったが、キャプテンマークを巻いてトップ下に入った松井の苦労が手に取るように分かったという。
「松井さんは断トツにうまいですし、メチャメチャ動いているんだけど、ボールが全く来ないんです。ベトナムの選手はボールを持った相手に対してファウルで止めるのが当たり前。となると松井さんがドリブルで局面を打開するようなシーンはほぼなく、ほとんどセットプレーになってしまう。そういう現実もしっかりと把握しながら、自分に何ができるのかをしっかり考えていかないといけないなと痛感させられました」

 とはいえ、悪いことばかりではない。サイゴンFCには上記の通り、日本語の話せる3人の仲間がいて、共闘体制を取れている。日本人通訳に日本人スタッフもいるため、意思疎通の壁はそれほど高くない。ベトナム人選手とは片言の英語で会話しているというが、日本人とリスペクトしている彼らは一生懸命学ぼうという姿勢を見せている。それも高崎の琴線に触れ点だ。

「自分にはJリーグで12年の経験があるので、それを少しでも伝えられたらいいなと思いながら、現地の選手と向き合っています。技術はなかなか教えられないけど、フリーランニングをしてスペースに走り込むとか、一度敵の視野から消えてゴール前に侵入するといったFWの動き方のツボはアドバイスできる。それを出し手に伝えて、少しでも意識してもらえれば、徐々によくなっていくはず。そういう期待はあります。
 もう1つ伝えたいのはメンタリティ。僕はビッグクラブからローカルのクラブまでいろんなところに行きましたけど、やはり鹿島が一番プロフェッショナルだった。練習から『ザ・競争』という雰囲気で、満男(小笠原=アカデミー・アドバイザー)さんたちが出しているオーラが全く違いましたね。その厳しさを体感したから、35歳になろうという今もピッチに立てているし、こうやって海外にチャレンジしようと思えた。その意識をベトナムの選手たちにも持ってほしいですね」



 こう語る彼の今季の目標はVリーグでゴールを量産すること。帰化枠に認められているアルゼンチン出身の同僚FWド・メルロは過去に4度、得点王に輝いているというが、その領域に近づきたいという野心を抱いている。
「メルロは『ザ・ストライカー』。ゴール前にドーンと構えて点を取りに行く選手です。ベトナム人は平均身長が低いけど、センターバックやセンターFWは190㎝近い選手が数多くいて、彼もその中の1人ですね。僕にとってはいいライバルであり、参考にすべき存在。彼に追いつき追い越せで点を取りまくって、輝きたいですね」

吸収できることは全てして帰りたい

 高崎のJリーグ時代を振り返ると、最多得点を奪ったのは松本山雅で過ごした2017年。J2ではあったが、年間19ゴールというのはそうそう残せない数字である。この年の松本山雅はJ1昇格を逃したものの、次の2018年はJ2優勝を果たして2度目の最高峰リーグ行きを実現させた。高崎は当時の充実感を今も忘れていない。新天地デビューを飾った1月23日のアウェー・ビンディン戦では待望の得点は奪えなかったものの、ここからパフォーマンスを上げ、当時の輝きを東南アジアの地で取り戻すことができれば、納得いく形でキャリアを終えられるのではないか。

「僕は松本が好きで、引退する時はもう1回、山雅と契約してもらいたい。1カ月でもいいからサンプロアルウィンでプレーしてから辞めたいと考えています(笑)。
 今は山雅の練習場の近くに『CUE』というカフェも出しています。と言っても、自分は出資しただけ。実際に運営しているのは妻と店長です。今はコロナの影響で経営的にも厳しいですが、いずれは自分もお店で働いてみたいという希望はあります。それ以外にも経営の勉強をしたり、子供にサッカーを教えたりといろんなことをやってみたいと考えています。僕の人生はこれまでサッカー一色で、アルバイト1つすらした経験がない。そういう意味でも今回のベトナム移籍は人間としての幅を広げる大きなチャンス。吸収できることは全てして帰りたいですね」

 サイゴンFCは資金力もあり、ホームゲームの看板スポンサーには日本航空、ソニー、エネオスといった日本の大企業が名を連ねている。開幕戦の観客動員も2万人近かったというほどポテンシャルのあるクラブだ。そこでピッチ内外でさまざまな経験をし、人脈を作り、1人の社会人として生き抜く力も養われるはず。そういう機会になるように、高崎は1日1日、全力でボールを蹴り続けるつもりだ。



取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U-22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。

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鹿島での成績は決して高崎選手にとって満足いくものでは無かっただろうけど、こうして鹿島で感じたことを心に留めてくれている。頑張ってほしい。
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我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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