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ジーコTD、内田篤人氏との2ショット

内田篤人氏との2ショットをInstagramに投稿したジーコTDである。
「昨シーズン、内田篤人という鹿島の歴史に名を残した偉大な右サイドバックの一人が、選手生活に幕を下ろした。私がそうであったように、彼は膝に問題を抱えていた。(内田選手が)引退する数日前、私の元に来て私 の古傷について話をすることがあった。私はすべてを話したけど、私の現役時代には今のような技術がなかった。私の手術箇所の開口部がどんなだったか、という話までしたよ。 話が終わった時、彼はとても不安を覚えたようだった。というのはボールを蹴り続けるために、私も今日まで続けてきたことだけど、筋力を維持しなければならないと知ったからね。彼が日本サッカー協会で役職を得たことはいいこと だ。現役時代と同じような成功を手にしてほしい」という言葉にジーコの経験と思いが込められておる。
アスリートは怪我のリスクと負ってしまった後の事も考えながらの現役生活となる。
それを乗り越えるメンタルもまた偉大な選手の持つものなのであろう。
ジーコ、篤人に続く者たちもまた強い気持ちで現役を送ることとなる。
先人に続けである。

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神様ジーコ、内田篤人氏との“膝トーク”2ショットを投稿 「現場での成功を祈る」

2021.02.21


鹿島アントラーズのテクニカルディレクターを務める元ブラジル代表MFジーコ氏【写真:Getty Images】

昨年8月の現役引退前、内田と膝の怪我について話し合いの場を持ったことを明かす
 現役時代に“サッカーの神様”として名を馳せ、現在は鹿島アントラーズのテクニカルディレクターを務める元ブラジル代表MFジーコ氏が、自身の公式インスタグラムを更新。昨年8月に現役を引退した元日本代表DF内田篤人氏とのエピソードを明かしている。

 ジーコ氏は、1970年代から80年代にかけて世界的スーパースターの1人として数々の伝説を生んできた。現役時代は、「白いペレ」とも称されるほどの卓越したテクニックと得点力を誇り、母国の名門フラメンゴで長くプレー。ブラジル代表として1978年、82年、86年とW杯に3度出場し、89年に引退するものの、91年に鹿島の前身である住友金属に加入し、“常勝軍団”の礎を築いた。Jリーグ創設以降の日本サッカー界に多大な影響を与えた。

 現役引退後は2006年のドイツ・ワールドカップで日本代表監督を務めたほか、トフェネルバフチェ、ブニョドコル、CSKAモスクワといった各国の強豪クラブの監督を歴任。そして2018年、古巣鹿島にTDとして復帰している。

 そんななか、ジーコ氏は自身の公式インスタグラムに内田氏との2ショットを複数投稿。「昨年、鹿島史上最高のサイドバックの1人であるアツト・ウチダがサッカーに別れを告げた。彼は、私のように膝の問題を抱えていた。引退の数日前、私の怪我について聞きに来た。私はすべてを説明し、私の時代には今日の医療の技術もなかったことを思い出した」と綴った。

 鹿島で長年活躍した内田氏は膝の故障の影響もあり、昨年8月23日のJ1リーグ第12節ガンバ大阪戦を最後に現役引退。その後は日本サッカー協会(JFA)が新設した「ロールモデルコーチ」に就任し、若年層の強化および普及に関わる活動に参加している。ジーコ氏も日本来日前のウディネーゼ時代に膝の不安を抱えていた過去があり、自身の経験談を惜しみなく伝えたという。

「彼が今、JFAにいるのは良いことだ。現場での成功を祈る」

 内田氏のセカンドキャリアの成功を祈ったジーコ氏の投稿には、海外ファンから「ヒーローズ」「アイドルの2人」「レジェンド」「美しい戦士の物語」といったコメントが多数寄せられていた。

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No title

ジーコと篤人の間で、こんなやり取りがあったんですね。
やっぱり、クラブにとっても選手にとってもジーコは必要だと強く感じる。
そして、インスタにアップされた写真を見て...涙が出る。
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狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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