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鹿島らしさの原点は「立ち向かう」

"鹿島らしさ"についてSports naviへ寄稿した報知新聞の内田知宏キャップである。
長年鹿島番記者として取材を続けてきた"目"が伝わる。
「長い目で見れば「今感じている悔しさが必要だった」と言われる時が来る」という言葉にその意味と意図が感じられる。
内田氏のこの言葉にハッとさせられる。
決して"勝利への飽くなき欲望"(だけ)が鹿島らしさではない。
相馬監督が何度も口にする"チャレンジャー"にも通ずる。
我らもともに"立ち向かって"いきたい。
あくまで、鹿島らしさの原点は「立ち向かう」である。

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鹿島らしいという言葉の根底にあるもの
【未来へのキセキ-EPISODE 12】


内田知宏(報知新聞)2021年10月12日(火) 07:00

小笠原満男が追及し、大切にしていたこと


2001年チャンピオンシップ第2戦、Jリーグ王者を手繰り寄せた小笠原満男のFKによるVゴール。「鹿島らしさ」を象徴する1シーンだ【(c)J.LEAGUE】

 DAZNでJリーグ中継を見ていると、一度は実況者、解説者から「鹿島らしいですね」「鹿島っぽくないですね」という言葉が聞かれる。いいプレーに前者を投げ、ミスや苦戦しているときに後者を使えば、具体的な根拠を示さずともうなずいてしまうから便利な言葉だ。

 今でこそ連動するパスワークが「フロンターレらしい」、汗をいとわない献身的なプレーが「湘南っぽい」と言われるなど、多くの人がイメージを共有できるクラブが出てきた。これらは間違いなくJリーグを盛り上げるために必要な要素だが、「鹿島らしい」というフレーズは、私が鹿島アントラーズの担当記者になった2001年にはすでに一般的だった。

 退場者を出し、ボールを握られながらも、同点に追いついた01年チャンピオンシップ第1戦のジュビロ磐田戦。劇的な展開に先輩記者が興奮気味に口にしたことをよく覚えている。続く第2戦で小笠原満男がFKからVゴールを決め、Jリーグ王者となったときにも飛び交った。03〜06年、タイトルから遠ざかった時期に「鹿島らしくない」をよく聞いたが、クラブに関わるすべての人間はもちろん、対戦相手、見ている側に統一された鹿島像があった。これだけ長い間、同じイメージで語られるクラブは今のところ知らない。

 もともとは泥臭さを示す言葉だった。創設からクラブに関わるスタッフは、「JSL(日本サッカーリーグ)2部からJリーグ加盟を果たしたのはいいけれど、お荷物クラブになると周りからは言われていた。当時は格上のクラブとの対戦ばかりで、私たちは食らいついていくしかなかった。負けん気あふれるプレー、不細工かもしれないけどなりふり構わないプレーをしたときに、よく『うちっぽいね』と身内で言っていた。今とはだいぶ違う使い方でしたね」と振り返る。

 今では、特にタイトルが懸かった試合で発揮する勝負強さ、ミスで自滅しない試合運びを見たときによく使われる。確かに指して口にするプレーは、当時とは異なるかもしれない。ただ、相手に食らいついていくことで「勝利への執着心」が生まれ、「したたかな戦い方」へと成熟していったのだとしたら、根っこの部分は変わっていない。表面だけを切り取れば「強い」になるが、その強さを生み出すベースは「食らいつく」である。

 敗戦後、小笠原が言うことはほぼ同じだった。

「ビビって、怖がって(パスコースに)顔を出さない選手がいる。隠れちゃう。そんなんじゃ勝てないよ」

「球際で戦わないと。向かっていっていない」

「ミスすることを怖がっている」

 自分が取材で聞いた限り、戦術面や仲間のミスを敗因に挙げたことは一度もなく、チームや選手のメンタル、姿勢を追及した。恐れるのはミスではなく、敗戦。時に相手が壁を作っている最中にFKを決めたり、弱者がさらすような隙を決して見逃すことはなかった。人がうらやむほど多くのタイトルを獲得しても、最後まで「立ち向かう」ことを大切にしていた。

「今感じている悔しさが必要だった」と言われる時


小笠原の引退に伴い、19年にキャプテンの座を引き継いだ内田篤人。彼なりのアプローチで「鹿島らしさ」をチームに植え付けた【(c)J.LEAGUE】

 その小笠原が、もう一つ大切にしていたことがある。これも鹿島らしさの一つ、「チームの一体感」だった。選手間の派閥はなく、どの選手にも居場所があるチームを目指していた。

 特に気に掛けたのはブラジル人、韓国人の助っ人たち。よく食事や趣味のゴルフに誘った。06年夏からの1年、期限付き移籍したイタリアのメッシーナで助っ人としてプレーした経験が大きかった。積極的にコミュニケーションを取り、ピッチ内の好循環につなげていった。プライドの高いブラジル人が小笠原だけではなく、他の日本人選手の言葉にも耳を傾け、プレーを試してみようとする姿は、鹿島ならではの光景だったように感じる。

 小笠原は言葉にすることは得意ではなかった。その背中を見て、17年にウニオン・ベルリン(ドイツ2部)から鹿島に復帰した内田篤人は、「満男さん、変わったね」と印象を語り、「いろいろなことを考えながら口にしている。俺も満男さんのサポートができれば」と続けた。クラブから鹿島らしさを伝えていく役割を託され、期待に応えようとした。「満男さんと同じことはできない」と言い、違ったアプローチをした。よりテクニカルな働きかけを試み、プレーの判断や選択、相手を見てプレーすること、そして勝ち方のスキルを伝えることに腐心した。

 手術を受けた右ひざから派生する負傷で、体現する機会はそう多くなかった。18年に小笠原が引退して責任感がより増す中、じくじたる思いを抱えた。時代の流れで生え抜きの中心選手が海外へと羽ばたいていく状況は、伝統継承の逆風となり、思うように引き継ぐことはできなかったかもしれない。UEFAチャンピオンズリーグで4強に入り、ワールドカップに臨む日本代表にも二度選出された男は、「俺ら鹿島だよ」の気概を忘れることなく、20年夏に引退するその時まで、鹿島らしくあり続けることを願っていた。

 今年、クラブは創設30周年を迎えた。リーグ戦では優勝争いに絡めず、ルヴァンカップも準々決勝で敗退した。16年度の天皇杯を最後に国内タイトルから遠ざかり、直近で獲得したタイトルは18年のAFC チャンピオンズリーグ。近年は望む結果を手にすることができていない。

 ただ、思い出してほしい。鹿島らしさの原点は「立ち向かう」。タイトルを取り続けることで継承してきた時代が長かった分、「鹿島らしくない」と言われるが、長い目で見れば「今感じている悔しさが必要だった」と言われる時が来る可能性がある。ポルトガル移籍前、あれだけ楽しそうにサッカーをしていた安西幸輝が、鹿島に復帰した今夏は厳しい表情でピッチを走り回っている。その姿を見て、そう感じる。

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悪い意味で「勝利以外に価値はない」と主張する強硬派サポ気取りの連中に正座して読んでもらいたい記事ですね。
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狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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