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オレンジスパイク・小澤英明

[オーレ!オレ、オレ、俺]鹿島GK 小沢 英明(35)

試合前、曽ケ端(手前)のウオーミングアップを手伝うGK小沢
 ◆J1第24節 大宮3─1鹿島(29日・NACK5スタジアム) 後半に入るといつも通り体を動かし始めた。その途中、ピッチに向かう選手を手を叩いて送り出し、引き揚げてくる選手には手を差し伸べる。過去251試合で、実績はわずか4。小沢はこの日も出場確率1・6%のために、大粒の汗をかいて準備を整えていた。

 数字上、Jリーガーで最も我慢強い男と言える記録が近づいている。それはベンチ入りしながら出場しなかった試合数。この日で247試合を数え、現役を退いたGK立石智紀(元千葉)が持つ251試合の歴代1位記録に、あと4と迫った。

 92年に鹿島入団。アトランタ五輪日本代表候補に名を連ねるなど、将来を嘱望された。だが、93年途中から腰痛に悩まされ、97年7月に自ら退団を申し出た。その後、スポーツ医療先進国で治療を受けるため、単身アメリカへ。サッカーを続けたい一心だった。

 98年10月、横浜Mでテスト入団し、現役復帰。数クラブを経て、04年に鹿島復帰。その間はずっと第2GK。めったに入れ替わらないポジションで「第1GK」を目指しているが、一歩届かない状況が続いている。それでも、オリヴェイラ監督が「大岩(37)と小沢(35)がいるから、チームとして良い練習が出来る。なくてはならない存在」と明かす。練習で一切手を抜かない。指揮官の「お手本だ」という言葉は大げさではない。

 93年Jリーグ開幕から17年間、J1に所属する選手は小沢以外にいない。高い実力に加え、チームに与える効果。鹿島が強い理由とも置き換えられる。大宮戦は出番がなく、チームは完敗した。小沢は「今日だけは、取材を拒否できますか」と悔しさを込めた。

 ◆小沢 英明(おざわ・ひであき)1974年3月17日、茨城県行方(なめかた)市生まれ。35歳。水戸短大付高から92年に鹿島入団。アトランタ五輪日本代表候補では、GK川口能活(磐田)と猛烈なポジション争いを演じた。持病の腰痛が治らず、97年7月に自ら鹿島を退団。米国で治療後、98年10月に横浜Mで現役復帰。その後、C大阪、F東京を経て04年に鹿島に復帰した。リーグ通算25試合出場。188センチ、84キロ。

(2009年8月30日06時01分 スポーツ報知)

第2GKである小澤にスポットが当たっておる。
とても苦しいポジションであるが、淡々と仕事をこなしておる。
プロ中のプロである。
鹿島アントラーズ、新卒入団の第1号でもある。
陽の当たらぬ位置におるが小澤の存在は鹿島にとって非常に重要である。

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鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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