三連覇報道
鹿島、史上初3連覇!興梠Vヘッド13冠!
2009.12.6 05:04

浦和−鹿島 後半21分、ヘディングで決勝のゴールを決める鹿島・興梠(手前)=5日、埼玉スタジアム
J1最終節(5日、浦和0−1鹿島、埼玉スタジアム)首位・鹿島が浦和を1−0で撃破。日本代表FW興梠慎三(23)の2試合連続ゴールを守りきり、Jリーグ史上初の3連覇を達成した。鹿島の優勝は最多を更新する7度目。逆転優勝を狙った川崎は柏に3−2で競り勝ったが、2年連続の2位に終わった。20ゴールの磐田FW前田遼一(28)が、02年の高原直泰(30)=当時磐田、現浦和=以来、5人目(6度目)の日本人得点王となった。
冷たい雨を一気に吹き飛ばした。鹿島の興梠が5万3000を超す観衆の敵地で、先制ヘッドだ。後半21分。0−0の死闘から一気に3連覇をたぐり寄せた。試合後はオリベイラ監督に続いて、仲間の胴上げで歓喜の空へ。苦しんだ今季のクライマックスに、最高の瞬間が待っていた。
「本当にホッとしている。勝たなければいけなかった。勝因は勝ちたいという気持ちだと思う」
もし引き分けに終わり、同時刻に柏と対戦している川崎が勝利すれば勝ち点で並ばれ、得失点差で優勝をさらわれてしまう。J史上初の3連覇を達成するため、眼中には相手ゴールしかなかった。05年の入団以降、無得点だった鬼門の埼玉スタジアムでの一発が、今季の成長を証明していた。
序盤は新入団の大迫に先発の座を追われ、必死に奪回。だが、後半戦で再び「記憶にない」という出場12試合連続ノーゴールの大スランプに陥った。クラブも初の屈辱の5連敗に沈む中、日本代表から外れた。その間も先発で使い続けた指揮官に報いたのは、10月24日の千葉戦。決勝ゴールを決めると一気に爆発。最終5試合で5ゴールと5連勝の立役者になった。
目標だった背番号の「13」にこそ届かなかったが自己最多の12ゴールをマーク。監督の59歳の誕生日に、純銀の優勝シャーレを手渡し、「来年は4連覇は当然だけど、アジアを制覇したい」と力強く誓った。
先月の南ア遠征前日に、岡田ジャパンに電撃復帰した。「オランダもカメルーンも強くてやりがいのあるチーム。でも、自分は代表で生き残ることの方が先」。王者・鹿島の若きエースが夢舞台で、さらなる高みを目指す。(丸山汎)

優勝のシャーレを高々と掲げるマルキーニョス(中央)。鹿島イレブンは歓喜に浸った(撮影・財満朝則)

雄たけびをあげるオリベイラ監督。3連覇を示す“スリーピース”でサポーターに応えた(撮影・大橋純人)
鹿島黄金時代だ!最終節“らしく”V3決めた

<浦和・鹿島>鹿島3連覇!決勝ゴールを決めたFW興梠慎三(左)は優勝シャーレを掲げ喜び爆発
Photo By スポニチ
鹿島が前人未到の3連覇だ!J1第34節の5日、9試合が各地で行われ、鹿島はアウェーで浦和と対戦し、1―0で勝って3年連続7度目のリーグ優勝を飾った。後半21分にFW興梠慎三(23)が、DF内田篤人(21)のクロスをダイビングヘッドで押し込んで決勝点を挙げた。
喜びが体中を突き抜けた。3連覇達成を告げるホイッスルを聞いた選手たちがピッチ上で重なり合い、歓喜の輪が広がった。MF小笠原が誇らしげに高々と優勝シャーレを掲げる。無数のフラッシュが、栄冠を勝ち取った鹿島イレブンの表情をより一層輝かせた。
「一人一人の勝ちたいという気持ちが上回った。苦しい時期があったけど、みんながチームのためにプレーしたから優勝できたんだと思う」。決勝弾の興梠がチーム全員の気持ちを代弁した。
鹿島らしい1―0の勝利だった。前半を終えて0―0。川崎Fは3点をリードして前半を折り返していた。そのまま引き分け、川崎Fが勝つと逆転で優勝をさらわれる。だが、DF内田が「僕らは勝つことだけを考えた」と言うように、川崎Fの試合の情報は耳に入れずプレーに集中した。
迎えた後半21分、MF小笠原からパスをうけた内田の右クロスに興梠が体ごと飛び込んでダイビングヘッド。優勝を決めるゴールを叩き込んだ。終盤は浦和の猛攻に押し込まれながら、その1点を守り切った。小笠原は「きれいに勝ちたかったけどウチは状況に応じた戦い方ができるチーム。みんな勝つためにやるべきことを理解できていた」と胸を張った。
17戦連続不敗の新記録をつくった前半戦の独走から一転、後半戦は90分以内ではクラブ史上初の5連敗で首位から陥落した。苦しみ抜いて全員で勝ち取った3連覇の味は格別だった。オリヴェイラ監督は今季、主力をほぼ固定して戦った。その起用法に控え選手には不満がくすぶっていた。しかしベテランがチーム崩壊を食い止めた。昨年右ひざを手術した中田は文句も言わず練習に打ち込んで終盤からボランチの定位置に入った。全体練習終了後1人クラブハウスで補強トレを行う時には、出番のない若手に積極的に声をかけた。小笠原が「出られなくても我慢して、みんなに声をかけてくれてたアイツの存在は大きかった」と話すほど貢献度は高かった。
9月12日の川崎F戦は大雨のため1―3の後半29分で中断した。再開試合が決定すると、クラブには心ない抗議の電話が殺到した。時には泣きながら対応する職員もいた。「クラブの人たちのためにも負けられないと思った」と内田。再開試合は2―3で惜敗したが、鹿島本来の姿を取り戻すきっかけとなった。
来季は4連覇とACL制覇が目標となる。その道のりは険しいが、可能性を感じさせてくれる強さが今の鹿島にはある。
[ 2009年12月06日 ]

<浦和・鹿島>後半21分、ヘディングで決勝のゴールを決める鹿島・興梠慎三(手前) Photo By 共同

<浦和・鹿島>後半21分、決勝のゴールを決めて喜ぶ鹿島・興梠慎三 Photo By スポニチ

<浦和・鹿島>後半、浦和FW高原直泰と交錯するGK曽ヶ端準 Photo By スポニチ

<浦和・鹿島>3連覇を達成し、オリヴェイラ監督(中央左)の横で、喜びを爆発させる興梠慎三(右手前) Photo By スポニチ
オリヴェイラ監督 愛と気遣いで偉業達成

<浦和・鹿島>3連覇を達成し、サポーターの前で胴上げされる鹿島のオリヴェイラ監督
Photo By スポニチ
【鹿島1―0浦和】敵地さいたまの夜空に4度、舞った。鹿島・オリヴェイラ監督は圧倒的な絆(きずな)で結ばれた選手に、その体を委ねた。「夢にまでみた国で歴史を変えることができた。言葉に表せないほどの感動を感じる」。就任3年目で史上初のV3達成。顔に降り注ぐ冷たい雨さえ心地良い。5日は59歳のバースデー。最高の記念日となった。
「勝利の方程式」を完遂した。1―0の後半41分。殊勲のFW興梠に代え、守備の人、MF青木をダブルボランチの、さらに後列に投入した。1点を守り切れば、優勝できる。その状況で、石橋を何度も叩き、J屈指の選手層を誇る浦和を追い込んだ。DF内田は「采配が凄い。戦い慣れている」と百戦錬磨の指揮官を称えた。
ハーフタイムには、2位・川崎Fが3―0で折り返していたが、一切の情報を遮断した。「07年も08年も勝たなければいけない状況を経験している。だから川崎Fの結果は全然気にしなかった。スタッフにも伝えるなと徹底していた」と言う。まさに勝者のメンタリティー。目の前の戦いだけに集中していた。
選手への「愛」と「気遣い」が常勝軍団を築き上げた。10月、天王山となった川崎F戦前には選手に内緒で、家族のビデオメッセージや手紙を用意し、鼓舞した。この試合の前には07年11月、奇跡の逆転優勝への足がかりとなった浦和戦(1―0)のVTRを見せていた。
試合後の優勝会見。自ら「最後に一言」と切り出した指揮官は「小笠原に来年のW杯をテレビ観戦させてはいけない」と言った。自軍の選手に対する信頼と愛は絶対だ。既に来季続投が決定しており、オリヴェイラ体制は円熟の4季目に突入。黄金時代は終わりそうにない。
[ 2009年12月06日 ]
苦しんだ8カ月…内田最後にVアシスト

優勝祝勝会で野沢拓也(左)の頭からシャンパンを掛ける内田篤人
Photo By スポニチ
【鹿島1―0浦和】鹿島の日本代表DF内田が、苦しみ抜いた末に“歓喜”をつかんだ。後半21分、右サイドから得意のアーリークロスをFW興梠のヘッドに合わせ、決勝弾を演出した。「狙い通りのプレー。(興梠)慎三さんがフリーだったので。3連覇?うれしいというよりホッとした気分」。激闘のリーグ戦を終え、安どの表情を浮かべた。
4月から人知れず、おう吐に苦しんだ。「走ると戻すの繰り返しだった。新聞とかに出ると親が心配するので治ったと言ってましたけど。もう終わったからいいですよね」。体調不良により本来の切れ、運動量を欠いた時期もあった。それでも最後の大一番で決勝アシストを決める勝負強さを発揮。「今年は耐えると言うか忍耐を学びました」。来年6月のW杯に向けても頼もしい限りだ。
[ 2009年12月06日 ]
史上初の3連覇!最強黄金期が完成…鹿島

史上初の3連覇を達成し喜ぶ小笠原(中央)ら鹿島イレブン
◆J1最終節 浦和0―1鹿島(5日・埼玉スタジアム) 鹿島が史上初のリーグ3連覇をなし遂げた。浦和を1―0で退け、通算7度目のリーグ優勝。後半21分、FW興梠慎三(23)がダイビングヘッドで決勝弾を決めた。5連敗を喫するなど苦しい時期があったが、オズワルド・オリヴェイラ監督(59)の手腕で、終盤5連勝。来年1月には宮崎県が宮崎市内で、プロ野球で日本一に輝いた巨人との合同優勝パレードを企画していることも判明。第3次黄金時代の目標は巨人と並ぶV9だ!
ピッチに大きな輪ができあがった。全選手、スタッフが手を取り、跳びはねる。DF内田は「ホッとした」と両腕で何度も目をこすった。DF岩政は「07年にいっぱい泣いたから、もうかれていると思っていた」という涙がこぼれ落ちる。前人未到の3連覇。一人ひとりの手が固く、強く握りしめられていた。
苦しい試合だった。雨で前半は水分を含んだピッチで持ち前のトラップ、パスが続かず、決定機を作れない。2位川崎は柏を相手に前半で3―0とし、勝利を濃厚のものとしていた。このままならV逸。ハーフタイムにはオリヴェイラ監督が「柏には頼るな」と選手をピッチに送り出した。奮い立った後半21分、FW興梠が決勝弾。選手は土壇場で力を発揮した。最後は浦和の猛攻を全員でしのぎきった。

3連覇を3本指で示す鹿島・オリヴェイラ監督
苦しいシーズンだった。首位を独走したが、夏場にクラブ史上ワースト記録(90分以内)を更新する5連敗を喫し、首位から陥落。MF野沢が「サッカーをやめたくなった」と言い、紅白戦ではサブ組に圧倒された。「どうしたらいいか分からない」という選手が続出する。迷走が始まりそうなチームを救ったのはオリヴェイラ監督だった。
磐田戦前、選手たちに1通ずつ手紙を手渡した。妻帯者なら妻、子どもから。独身選手なら実家の両親から。1枚の紙に家族全員で写った写真が張られ、その横にメッセージが寄せられる。ミミズのような字で「パパ。いつもありがとう。がんばって」とクレヨンで書かれたもの。母が万年筆で「いつでもあなたの味方です」と記されたもの。色々あった。
オリヴェイラ監督が発案し、選手には秘密にして、家族に執筆を頼んだという。FW田代は「これで何か吹っ切れた。やるしかないと思った」と明かす。選手もMF本山が中心となり、決起集会を催した。チームはそこから息を吹き返し、終盤5連勝フィニッシュ。「ここまで選手たちが良くやってくれた。感謝している」と誉めたたえた。
就任当初から、精神科医のチームスタッフ導入を求めるほど、「サッカーにおいてメンタルは重要」と訴え続けてきた指揮官。そのメンタルコントロールでチームを3連覇に導いた。胴上げで3度宙を舞い、指には3連覇を意味する3本の指が立てられた。「本当に最高の監督」と内田。鹿島が歴史を作った。
◆鹿島アントラーズ ホームタウンは茨城・鹿嶋、潮来、神栖、鉾田、行方の5市。1947年に住友金属工業蹴球同好会として創部し、91年のJリーグ加盟時に改称。96年に初優勝。00年にはリーグ、ナビスコ杯、天皇杯との3冠を達成。09年のリーグ制覇でチーム通算13個目のタイトル獲得となる。チーム名の「アントラー」は鹿の枝角を意味し、鹿嶋市内にある鹿島神宮の鹿にちなんだもの。チームカラーはディープレッド。大東和美代表取締役社長。
(2009年12月6日06時01分 スポーツ報知)
宮崎で巨人と合同パレードも…鹿島
◆J1最終節 浦和0―1鹿島(5日・埼玉スタジアム) 鹿島が史上初のリーグ3連覇をなし遂げた。浦和を1―0で退け、通算7度目のリーグ優勝。後半21分、FW興梠慎三(23)がダイビングヘッドで決勝弾を決めた。
宮崎県が来年1月31日に行うことが濃厚な、巨人の優勝パレードに、巨人と同じくリーグ3連覇を達成した鹿島を招待し、宮崎市内で両チーム合同の優勝パレードを行う計画があることが5日、分かった。これから鹿島側に参加を要請する方針。野球とサッカーの合同優勝パレードが実現すれば史上初となる。
東国原英夫知事(52)が「おもてなし日本一を掲げ、お客様を大切にする宮崎県でありたい。恩返しをしないといけない」と述べ、同知事に近い県関係者は「両球団の日程の問題があるが、合同でやればさらに盛り上がる」と明かした。今後も宮崎をキャンプ地とする野球やサッカーの球団が優勝した場合、慣例化させる考えもあるという。
鹿島はJクラブ最長の12年間、宮崎県運動公園陸上競技場を使用。また、巨人とはキャンプ中は同宿で、練習場は目と鼻の先。08年2月にはMF小笠原と巨人の小笠原道大内野手が対談するなど、年々交流を深めている。ともにリーグ3連覇を達成した両雄が、宮崎の地で喜びを分かち合うことになるかもしれない。
(2009年12月6日06時01分 スポーツ報知)
興梠が救った!V逸寸前に千金弾…鹿島

後半21分、優勝を決めるヘディングシュートを決めた鹿島・興梠。中央はマルキーニョス、右は浦和・坪井
◆J1最終節 浦和0―1鹿島(5日・埼玉スタジアム) 鹿島が史上初のリーグ3連覇をなし遂げた。浦和を1―0で退け、通算7度目のリーグ優勝。後半21分、FW興梠慎三(23)がダイビングヘッドで決勝弾を決めた。
エースと認められた瞬間だった。オリヴェイラ監督が胴上げされた後、FW興梠が3度宙を舞った。「何でオレなんだろう」ととぼけ、「優勝できて今はホッとしている。きつい時期もあったから、こういう試合でゴールできたんだと思う」と安どした。自身最多となる年間12得点。3連覇を決める決勝弾。舞って当然だった。
後半21分、カウンター攻撃。MF小笠原からボールをつなぎ、DF内田が低空クロス。ニアサイドで興梠がダイビングヘッドで決めた。「ごっつぁんゴールでした。触るだけでよかった。そんなには難しくはなかった」。前半にもCKからヘディングシュートが左ポストを直撃するなど、チャンスを逃していたが、2度目の決定機で見事に仕留めた。
埼玉スタジアムには苦い思い出があった。06年5月、先発出場のチャンスが巡ってきた。「張り切って」前夜にスパイクを磨いたが、結果は前半で交代。その後、スパイクを磨くことはなくなった。白いスパイクが茶色に変色するまで使用し、ほかの選手が年間10足以上のところを、年間2足しか使わない。ゲンを担いだ。それでも、大事な試合で「決められない」ことは変わらなかった。
08、09年ACL決勝トーナメント1回戦、それぞれ決定機を外し、チームは敗れ去った。日本代表に選出され、1年が経つが、いまだに無得点が続いている。「今までは大事な場面で決められなかった。でも、今年春に試合に出られない時期が続いた。苦労したから、今は決められるんだと思う」。若きエースも、3連覇の原動力となった。
(2009年12月6日06時01分 スポーツ報知)
我等は確実に歴史を作っている。
2009.12.6 05:04

浦和−鹿島 後半21分、ヘディングで決勝のゴールを決める鹿島・興梠(手前)=5日、埼玉スタジアム
J1最終節(5日、浦和0−1鹿島、埼玉スタジアム)首位・鹿島が浦和を1−0で撃破。日本代表FW興梠慎三(23)の2試合連続ゴールを守りきり、Jリーグ史上初の3連覇を達成した。鹿島の優勝は最多を更新する7度目。逆転優勝を狙った川崎は柏に3−2で競り勝ったが、2年連続の2位に終わった。20ゴールの磐田FW前田遼一(28)が、02年の高原直泰(30)=当時磐田、現浦和=以来、5人目(6度目)の日本人得点王となった。
冷たい雨を一気に吹き飛ばした。鹿島の興梠が5万3000を超す観衆の敵地で、先制ヘッドだ。後半21分。0−0の死闘から一気に3連覇をたぐり寄せた。試合後はオリベイラ監督に続いて、仲間の胴上げで歓喜の空へ。苦しんだ今季のクライマックスに、最高の瞬間が待っていた。
「本当にホッとしている。勝たなければいけなかった。勝因は勝ちたいという気持ちだと思う」
もし引き分けに終わり、同時刻に柏と対戦している川崎が勝利すれば勝ち点で並ばれ、得失点差で優勝をさらわれてしまう。J史上初の3連覇を達成するため、眼中には相手ゴールしかなかった。05年の入団以降、無得点だった鬼門の埼玉スタジアムでの一発が、今季の成長を証明していた。
序盤は新入団の大迫に先発の座を追われ、必死に奪回。だが、後半戦で再び「記憶にない」という出場12試合連続ノーゴールの大スランプに陥った。クラブも初の屈辱の5連敗に沈む中、日本代表から外れた。その間も先発で使い続けた指揮官に報いたのは、10月24日の千葉戦。決勝ゴールを決めると一気に爆発。最終5試合で5ゴールと5連勝の立役者になった。
目標だった背番号の「13」にこそ届かなかったが自己最多の12ゴールをマーク。監督の59歳の誕生日に、純銀の優勝シャーレを手渡し、「来年は4連覇は当然だけど、アジアを制覇したい」と力強く誓った。
先月の南ア遠征前日に、岡田ジャパンに電撃復帰した。「オランダもカメルーンも強くてやりがいのあるチーム。でも、自分は代表で生き残ることの方が先」。王者・鹿島の若きエースが夢舞台で、さらなる高みを目指す。(丸山汎)

優勝のシャーレを高々と掲げるマルキーニョス(中央)。鹿島イレブンは歓喜に浸った(撮影・財満朝則)

雄たけびをあげるオリベイラ監督。3連覇を示す“スリーピース”でサポーターに応えた(撮影・大橋純人)
鹿島黄金時代だ!最終節“らしく”V3決めた

<浦和・鹿島>鹿島3連覇!決勝ゴールを決めたFW興梠慎三(左)は優勝シャーレを掲げ喜び爆発
Photo By スポニチ
鹿島が前人未到の3連覇だ!J1第34節の5日、9試合が各地で行われ、鹿島はアウェーで浦和と対戦し、1―0で勝って3年連続7度目のリーグ優勝を飾った。後半21分にFW興梠慎三(23)が、DF内田篤人(21)のクロスをダイビングヘッドで押し込んで決勝点を挙げた。
喜びが体中を突き抜けた。3連覇達成を告げるホイッスルを聞いた選手たちがピッチ上で重なり合い、歓喜の輪が広がった。MF小笠原が誇らしげに高々と優勝シャーレを掲げる。無数のフラッシュが、栄冠を勝ち取った鹿島イレブンの表情をより一層輝かせた。
「一人一人の勝ちたいという気持ちが上回った。苦しい時期があったけど、みんながチームのためにプレーしたから優勝できたんだと思う」。決勝弾の興梠がチーム全員の気持ちを代弁した。
鹿島らしい1―0の勝利だった。前半を終えて0―0。川崎Fは3点をリードして前半を折り返していた。そのまま引き分け、川崎Fが勝つと逆転で優勝をさらわれる。だが、DF内田が「僕らは勝つことだけを考えた」と言うように、川崎Fの試合の情報は耳に入れずプレーに集中した。
迎えた後半21分、MF小笠原からパスをうけた内田の右クロスに興梠が体ごと飛び込んでダイビングヘッド。優勝を決めるゴールを叩き込んだ。終盤は浦和の猛攻に押し込まれながら、その1点を守り切った。小笠原は「きれいに勝ちたかったけどウチは状況に応じた戦い方ができるチーム。みんな勝つためにやるべきことを理解できていた」と胸を張った。
17戦連続不敗の新記録をつくった前半戦の独走から一転、後半戦は90分以内ではクラブ史上初の5連敗で首位から陥落した。苦しみ抜いて全員で勝ち取った3連覇の味は格別だった。オリヴェイラ監督は今季、主力をほぼ固定して戦った。その起用法に控え選手には不満がくすぶっていた。しかしベテランがチーム崩壊を食い止めた。昨年右ひざを手術した中田は文句も言わず練習に打ち込んで終盤からボランチの定位置に入った。全体練習終了後1人クラブハウスで補強トレを行う時には、出番のない若手に積極的に声をかけた。小笠原が「出られなくても我慢して、みんなに声をかけてくれてたアイツの存在は大きかった」と話すほど貢献度は高かった。
9月12日の川崎F戦は大雨のため1―3の後半29分で中断した。再開試合が決定すると、クラブには心ない抗議の電話が殺到した。時には泣きながら対応する職員もいた。「クラブの人たちのためにも負けられないと思った」と内田。再開試合は2―3で惜敗したが、鹿島本来の姿を取り戻すきっかけとなった。
来季は4連覇とACL制覇が目標となる。その道のりは険しいが、可能性を感じさせてくれる強さが今の鹿島にはある。
[ 2009年12月06日 ]

<浦和・鹿島>後半21分、ヘディングで決勝のゴールを決める鹿島・興梠慎三(手前) Photo By 共同

<浦和・鹿島>後半21分、決勝のゴールを決めて喜ぶ鹿島・興梠慎三 Photo By スポニチ

<浦和・鹿島>後半、浦和FW高原直泰と交錯するGK曽ヶ端準 Photo By スポニチ

<浦和・鹿島>3連覇を達成し、オリヴェイラ監督(中央左)の横で、喜びを爆発させる興梠慎三(右手前) Photo By スポニチ
オリヴェイラ監督 愛と気遣いで偉業達成

<浦和・鹿島>3連覇を達成し、サポーターの前で胴上げされる鹿島のオリヴェイラ監督
Photo By スポニチ
【鹿島1―0浦和】敵地さいたまの夜空に4度、舞った。鹿島・オリヴェイラ監督は圧倒的な絆(きずな)で結ばれた選手に、その体を委ねた。「夢にまでみた国で歴史を変えることができた。言葉に表せないほどの感動を感じる」。就任3年目で史上初のV3達成。顔に降り注ぐ冷たい雨さえ心地良い。5日は59歳のバースデー。最高の記念日となった。
「勝利の方程式」を完遂した。1―0の後半41分。殊勲のFW興梠に代え、守備の人、MF青木をダブルボランチの、さらに後列に投入した。1点を守り切れば、優勝できる。その状況で、石橋を何度も叩き、J屈指の選手層を誇る浦和を追い込んだ。DF内田は「采配が凄い。戦い慣れている」と百戦錬磨の指揮官を称えた。
ハーフタイムには、2位・川崎Fが3―0で折り返していたが、一切の情報を遮断した。「07年も08年も勝たなければいけない状況を経験している。だから川崎Fの結果は全然気にしなかった。スタッフにも伝えるなと徹底していた」と言う。まさに勝者のメンタリティー。目の前の戦いだけに集中していた。
選手への「愛」と「気遣い」が常勝軍団を築き上げた。10月、天王山となった川崎F戦前には選手に内緒で、家族のビデオメッセージや手紙を用意し、鼓舞した。この試合の前には07年11月、奇跡の逆転優勝への足がかりとなった浦和戦(1―0)のVTRを見せていた。
試合後の優勝会見。自ら「最後に一言」と切り出した指揮官は「小笠原に来年のW杯をテレビ観戦させてはいけない」と言った。自軍の選手に対する信頼と愛は絶対だ。既に来季続投が決定しており、オリヴェイラ体制は円熟の4季目に突入。黄金時代は終わりそうにない。
[ 2009年12月06日 ]
苦しんだ8カ月…内田最後にVアシスト

優勝祝勝会で野沢拓也(左)の頭からシャンパンを掛ける内田篤人
Photo By スポニチ
【鹿島1―0浦和】鹿島の日本代表DF内田が、苦しみ抜いた末に“歓喜”をつかんだ。後半21分、右サイドから得意のアーリークロスをFW興梠のヘッドに合わせ、決勝弾を演出した。「狙い通りのプレー。(興梠)慎三さんがフリーだったので。3連覇?うれしいというよりホッとした気分」。激闘のリーグ戦を終え、安どの表情を浮かべた。
4月から人知れず、おう吐に苦しんだ。「走ると戻すの繰り返しだった。新聞とかに出ると親が心配するので治ったと言ってましたけど。もう終わったからいいですよね」。体調不良により本来の切れ、運動量を欠いた時期もあった。それでも最後の大一番で決勝アシストを決める勝負強さを発揮。「今年は耐えると言うか忍耐を学びました」。来年6月のW杯に向けても頼もしい限りだ。
[ 2009年12月06日 ]
史上初の3連覇!最強黄金期が完成…鹿島

史上初の3連覇を達成し喜ぶ小笠原(中央)ら鹿島イレブン
◆J1最終節 浦和0―1鹿島(5日・埼玉スタジアム) 鹿島が史上初のリーグ3連覇をなし遂げた。浦和を1―0で退け、通算7度目のリーグ優勝。後半21分、FW興梠慎三(23)がダイビングヘッドで決勝弾を決めた。5連敗を喫するなど苦しい時期があったが、オズワルド・オリヴェイラ監督(59)の手腕で、終盤5連勝。来年1月には宮崎県が宮崎市内で、プロ野球で日本一に輝いた巨人との合同優勝パレードを企画していることも判明。第3次黄金時代の目標は巨人と並ぶV9だ!
ピッチに大きな輪ができあがった。全選手、スタッフが手を取り、跳びはねる。DF内田は「ホッとした」と両腕で何度も目をこすった。DF岩政は「07年にいっぱい泣いたから、もうかれていると思っていた」という涙がこぼれ落ちる。前人未到の3連覇。一人ひとりの手が固く、強く握りしめられていた。
苦しい試合だった。雨で前半は水分を含んだピッチで持ち前のトラップ、パスが続かず、決定機を作れない。2位川崎は柏を相手に前半で3―0とし、勝利を濃厚のものとしていた。このままならV逸。ハーフタイムにはオリヴェイラ監督が「柏には頼るな」と選手をピッチに送り出した。奮い立った後半21分、FW興梠が決勝弾。選手は土壇場で力を発揮した。最後は浦和の猛攻を全員でしのぎきった。

3連覇を3本指で示す鹿島・オリヴェイラ監督
苦しいシーズンだった。首位を独走したが、夏場にクラブ史上ワースト記録(90分以内)を更新する5連敗を喫し、首位から陥落。MF野沢が「サッカーをやめたくなった」と言い、紅白戦ではサブ組に圧倒された。「どうしたらいいか分からない」という選手が続出する。迷走が始まりそうなチームを救ったのはオリヴェイラ監督だった。
磐田戦前、選手たちに1通ずつ手紙を手渡した。妻帯者なら妻、子どもから。独身選手なら実家の両親から。1枚の紙に家族全員で写った写真が張られ、その横にメッセージが寄せられる。ミミズのような字で「パパ。いつもありがとう。がんばって」とクレヨンで書かれたもの。母が万年筆で「いつでもあなたの味方です」と記されたもの。色々あった。
オリヴェイラ監督が発案し、選手には秘密にして、家族に執筆を頼んだという。FW田代は「これで何か吹っ切れた。やるしかないと思った」と明かす。選手もMF本山が中心となり、決起集会を催した。チームはそこから息を吹き返し、終盤5連勝フィニッシュ。「ここまで選手たちが良くやってくれた。感謝している」と誉めたたえた。
就任当初から、精神科医のチームスタッフ導入を求めるほど、「サッカーにおいてメンタルは重要」と訴え続けてきた指揮官。そのメンタルコントロールでチームを3連覇に導いた。胴上げで3度宙を舞い、指には3連覇を意味する3本の指が立てられた。「本当に最高の監督」と内田。鹿島が歴史を作った。
◆鹿島アントラーズ ホームタウンは茨城・鹿嶋、潮来、神栖、鉾田、行方の5市。1947年に住友金属工業蹴球同好会として創部し、91年のJリーグ加盟時に改称。96年に初優勝。00年にはリーグ、ナビスコ杯、天皇杯との3冠を達成。09年のリーグ制覇でチーム通算13個目のタイトル獲得となる。チーム名の「アントラー」は鹿の枝角を意味し、鹿嶋市内にある鹿島神宮の鹿にちなんだもの。チームカラーはディープレッド。大東和美代表取締役社長。
(2009年12月6日06時01分 スポーツ報知)
宮崎で巨人と合同パレードも…鹿島
◆J1最終節 浦和0―1鹿島(5日・埼玉スタジアム) 鹿島が史上初のリーグ3連覇をなし遂げた。浦和を1―0で退け、通算7度目のリーグ優勝。後半21分、FW興梠慎三(23)がダイビングヘッドで決勝弾を決めた。
宮崎県が来年1月31日に行うことが濃厚な、巨人の優勝パレードに、巨人と同じくリーグ3連覇を達成した鹿島を招待し、宮崎市内で両チーム合同の優勝パレードを行う計画があることが5日、分かった。これから鹿島側に参加を要請する方針。野球とサッカーの合同優勝パレードが実現すれば史上初となる。
東国原英夫知事(52)が「おもてなし日本一を掲げ、お客様を大切にする宮崎県でありたい。恩返しをしないといけない」と述べ、同知事に近い県関係者は「両球団の日程の問題があるが、合同でやればさらに盛り上がる」と明かした。今後も宮崎をキャンプ地とする野球やサッカーの球団が優勝した場合、慣例化させる考えもあるという。
鹿島はJクラブ最長の12年間、宮崎県運動公園陸上競技場を使用。また、巨人とはキャンプ中は同宿で、練習場は目と鼻の先。08年2月にはMF小笠原と巨人の小笠原道大内野手が対談するなど、年々交流を深めている。ともにリーグ3連覇を達成した両雄が、宮崎の地で喜びを分かち合うことになるかもしれない。
(2009年12月6日06時01分 スポーツ報知)
興梠が救った!V逸寸前に千金弾…鹿島

後半21分、優勝を決めるヘディングシュートを決めた鹿島・興梠。中央はマルキーニョス、右は浦和・坪井
◆J1最終節 浦和0―1鹿島(5日・埼玉スタジアム) 鹿島が史上初のリーグ3連覇をなし遂げた。浦和を1―0で退け、通算7度目のリーグ優勝。後半21分、FW興梠慎三(23)がダイビングヘッドで決勝弾を決めた。
エースと認められた瞬間だった。オリヴェイラ監督が胴上げされた後、FW興梠が3度宙を舞った。「何でオレなんだろう」ととぼけ、「優勝できて今はホッとしている。きつい時期もあったから、こういう試合でゴールできたんだと思う」と安どした。自身最多となる年間12得点。3連覇を決める決勝弾。舞って当然だった。
後半21分、カウンター攻撃。MF小笠原からボールをつなぎ、DF内田が低空クロス。ニアサイドで興梠がダイビングヘッドで決めた。「ごっつぁんゴールでした。触るだけでよかった。そんなには難しくはなかった」。前半にもCKからヘディングシュートが左ポストを直撃するなど、チャンスを逃していたが、2度目の決定機で見事に仕留めた。
埼玉スタジアムには苦い思い出があった。06年5月、先発出場のチャンスが巡ってきた。「張り切って」前夜にスパイクを磨いたが、結果は前半で交代。その後、スパイクを磨くことはなくなった。白いスパイクが茶色に変色するまで使用し、ほかの選手が年間10足以上のところを、年間2足しか使わない。ゲンを担いだ。それでも、大事な試合で「決められない」ことは変わらなかった。
08、09年ACL決勝トーナメント1回戦、それぞれ決定機を外し、チームは敗れ去った。日本代表に選出され、1年が経つが、いまだに無得点が続いている。「今までは大事な場面で決められなかった。でも、今年春に試合に出られない時期が続いた。苦労したから、今は決められるんだと思う」。若きエースも、3連覇の原動力となった。
(2009年12月6日06時01分 スポーツ報知)
我等は確実に歴史を作っている。