5連敗をはね除けた理由
鹿島、5連敗を乗り越えた王者の処世術
3連覇を可能にした真の強さ
2009年12月9日(水)
■「なぜ、5連敗もしたのか?」

チームワースト記録の5連敗を喫した鹿島だが、苦難を乗り越え3連覇を達成した【写真は共同】
2005年から続く最終節までもつれたJ1優勝争いを制した鹿島アントラーズが史上初の3連覇を達成した。
最終盤の第33節に05年チャンピオンであるガンバ大阪、第34節に06年チャンピオンの浦和レッズから勝利しての偉業達成は、単に勝ち点を一番多く獲得したチームというだけでなく、誰もが納得する形でのタイトル獲得と言えるだろう。勢いで獲得した07年や安定感のあった08年とはまた違い、3連覇の重みをあらためて強く感じさせる優勝だった。
連覇したチームの定めとはいえ、今季の鹿島に対するマークはとても厳しいものだった。前半戦こそ、昨季からほとんどメンバー変更がない強みと、けがで戦列を離れていた小笠原満男が序盤に復帰したことで快調に飛ばしたものの、夏場から後半戦に入ると急激に失速。どの対戦チームも試合に挑むモチベーションは高く、さらにサイドのスペースで起点を作ろうとする鹿島に対し、サイドバックの攻め上がりを抑えてスペースを与えず、最終ラインに4人の選手を並べる対策をとってきた。その結果、夏場には運動量が落ちてしまう弱点も相まって徐々にペースダウン。しかし、勝ち点獲得のペースは下げ止まることなく8月29日の第24節・大宮戦(アウエー)を1−3で惨敗を喫すると、ここから5連敗。一気に首位から滑り落ちてしまった。
「なぜ、5連敗もしたのですか?」
シーズンが終了した今、鹿島の取材を重ねてきたこともあって、この質問を受けることが多い。「なぜ3連覇できたのですか?」「なぜ鹿島は強いのですか?」という勝った要因よりも、負けた要因を聞かれることが多いのは、この3連覇で13個目のタイトルを獲得した鹿島ならではなのかもしれない。だが、鹿島が5連敗したのは延長Vゴールが廃止されてからチームワーストとなる記録だ。確かに異常事態だったと言えるだろうし、多くの人が興味を持つのも分かる。
あのとき鹿島では何が起きていたのだろうか。
■走ることで中盤は“いびつな構造”に
「大学のころだったら、僕もみんなを集めて『こうやってディフェンスしよう』と話していたと思う。でも、鹿島でそれをやってしまうとみんなの長所を打ち消すことになる。鹿島はいい意味で1人1人の個性が強いチーム。その特長を出そうとするのが鹿島のやり方なんだと入団してしばらくして分かりました」
勝てなかった時期、お互いの長所を生かすサッカーができていなかったのだと岩政大樹は言う。小笠原も青木剛も、ボランチとしては同タイプの守備をする選手で、ボールを奪われたら、まずそこに寄せる早さを特長としている。全体の運動量が高かった前半なら、彼らがボールに寄せていっても空いたスペースを別の選手が埋めることができていたのだが、疲労のたまった後半戦ではそれも難しかった。
とはいえ、ボールへ寄せるプレーが彼らの最大の特長であるならば、それを抑制してしてしまうのではなく、助長することで勝つのが鹿島のやり方だった。だから、岩政は「センターバックの前に残ってくれ」と言うのではなく、「走れ」と味方を叱咤激励していたのである。
だが、皮肉なことに、走れる青木が前線に飛び出して攻撃をサポートしようとすると中盤の底でパスを受けるのは小笠原一人になってしまう。そのため、相手チームは小笠原に狙いを定めてプレスをかけるようになっていた。これを見ていた本山雅志や野沢拓也がポジションを下げて小笠原のサポートに走ろうとなる。すると攻撃的なセンスを持った彼らがゴールから遠ざかり、攻撃の点で見劣りする青木がゴール前に顔を出すという“いびつな構造”ができあがっていたのである。
■悪循環に陥る中、紅白戦に変化

JリーグMVPにも輝いた小笠原。中田とのダブルボランチで安定感をもたらした【写真は共同】
鹿島のディフェンスはオズワルド・オリヴェイラ監督就任以降、相手にボールを奪われると最前線のFWから素早くボールにアタックして、高い位置で奪い取る切り替えの鋭さを武器にしてきた。意識の高さと運動量を必要とされるやり方だが、先制点を奪えばゲームをコントロールするすべにも長けているため、うまく試合を終わらせることができていた。
しかし、夏場に入ると連動性の高かったプレスのタイミングが遅くなり、逆サイドまでパスを回されてしまう回数が増えるようになる。相手を走らせるつもりが、逆に自分たちが走り回ることになってしまうという悪循環に陥っていた。
今季、鹿島を取材していて忘れられない光景がある。10月15日の木曜日に行われた紅白戦で、主力組は控え組の前に手も足も出なかったのだ。それまで見た紅白戦の中で、最も内容が悪かった。
練習終了後、オリヴェイラ監督はグラウンドに全員を座らせ選手たちの奮起を促した。断片的に聞こえてくる声は「ハートを持って戦え」「声を出して助け合え」「走ることから始めろ」「下を向いてどうする」と強い口調だった。しかし、話が終わった途端、すくっと立ち上がり三々五々に帰っていく選手たちからは、監督と同じような熱を感じることはなかった。選手たちがグラウンドから去った後、オリヴェイラ監督と鈴木満強化部長は、かなり長い時間をかけて話し合っていた。
そして、翌日に変化が見られる。本来なら試合前日の練習はセットプレーの確認で終わるはずが、この日も紅白戦を実施。先発から本山が外れ、2列目は野沢と小笠原、そしてボランチは青木と中田浩二が組んでいたのである。17日のジュビロ磐田戦では、圧倒的に攻められはしたものの無失点に抑えることができた。攻撃陣は渋い表情の選手が多かったものの、守備陣からは「ゼロに抑えられたことは大きい」という声が伊野波雅彦や岩政のセンターバック陣から聞かれ、その言葉通り、この後は最終節まで連勝を続け、3連覇の階段を駆け上がっていくのである。
■小笠原・中田の新ボランチコンビで復活
磐田戦では青木・中田のコンビだったボランチも、その次のジェフ千葉戦ではさらに組み合わせが変わり、小笠原・中田となった。このコンビに変更してからは全勝、さらに失点もG大阪に喫した1点のみ。中田がセンターバックの前にどっしり構えることで、小笠原がすぐにボールに寄せていくプレスを敢行しても守備バランスは崩れることがなくなり、それに伴って小笠原、本山、野沢の3人が少しずつゴールに近づいてプレーできるようになったのである。
「青木が飛び出る部分をミツ(小笠原)が出るようになって、浩二が残るようになった」
本山は中田が入ることで変わった部分を、そう説明してくれた。
苦しい時期を乗り越え優勝した後、小笠原は「戻るところがあった」と、ジタバタしなかったことがタイトル獲得につながったと話した。しかし、それは単純に元通りになったことを意味しない。
運動量が上がらない中で、どうすれば自分たちのサッカーを取り戻すことができるのか、自分たちの特長を生かすことでそのサッカーを取り戻すことができるのか、耐えに耐えて考えぬいた賜物(たまもの)と言えるだろう。
ただ、昨季も青木が前、中後雅喜(千葉)が後ろという形で、小笠原がけがで抜けた穴を埋めて乗り切っている。1人1人個性の強い選手たちが、それぞれにチームのことを考え、自分の特長を最大限に引き出そうとしているからこそ、5連敗を乗り越えただけでなく3連覇という前人未踏の記録が可能になったのだ。
<了>
田中滋
田中氏のコラムである。
前回のスポーツナビコラムではユダの復活までを追い、今回はユダの先発固定による快進撃を述べておる。
田中氏はエルゴラッソの記事でもユダのボランチ固定が優勝へのキーワードであったと書いており、満男&ユダコンビにご執心である。
実際にジュビロ戦以降、リーグ戦6戦無敗、天皇杯2連勝と波に乗った感がある。
注目すべきは失点でリーグ戦と天皇杯8試合で合計2点と非常に締まっておることがわかる。
しかしながら、ユダ一人替えただけでこの結果になったわけではない。
バランスの妙がはまっただけであると断言出来よう。
青木を起用し、連勝もあり得たはず。
田中氏のコラムにもあるように、昨季は青木と中後で優勝しておるのである。
要は選手間の修正力であろう。
田中氏の言葉を借りれば「耐えに耐えて考え抜いた賜物」なのである。
選手全員が考え、走り、手に入れた三連覇である。
心から祝福を送りたい。
とはいえ、個人的には危機的状況を救った救世主であるユダの才能には改めて目を見張った。
昨年夏の復帰がここで効いてきたと言えよう。
本当に感謝したい。
3連覇を可能にした真の強さ
2009年12月9日(水)
■「なぜ、5連敗もしたのか?」

チームワースト記録の5連敗を喫した鹿島だが、苦難を乗り越え3連覇を達成した【写真は共同】
2005年から続く最終節までもつれたJ1優勝争いを制した鹿島アントラーズが史上初の3連覇を達成した。
最終盤の第33節に05年チャンピオンであるガンバ大阪、第34節に06年チャンピオンの浦和レッズから勝利しての偉業達成は、単に勝ち点を一番多く獲得したチームというだけでなく、誰もが納得する形でのタイトル獲得と言えるだろう。勢いで獲得した07年や安定感のあった08年とはまた違い、3連覇の重みをあらためて強く感じさせる優勝だった。
連覇したチームの定めとはいえ、今季の鹿島に対するマークはとても厳しいものだった。前半戦こそ、昨季からほとんどメンバー変更がない強みと、けがで戦列を離れていた小笠原満男が序盤に復帰したことで快調に飛ばしたものの、夏場から後半戦に入ると急激に失速。どの対戦チームも試合に挑むモチベーションは高く、さらにサイドのスペースで起点を作ろうとする鹿島に対し、サイドバックの攻め上がりを抑えてスペースを与えず、最終ラインに4人の選手を並べる対策をとってきた。その結果、夏場には運動量が落ちてしまう弱点も相まって徐々にペースダウン。しかし、勝ち点獲得のペースは下げ止まることなく8月29日の第24節・大宮戦(アウエー)を1−3で惨敗を喫すると、ここから5連敗。一気に首位から滑り落ちてしまった。
「なぜ、5連敗もしたのですか?」
シーズンが終了した今、鹿島の取材を重ねてきたこともあって、この質問を受けることが多い。「なぜ3連覇できたのですか?」「なぜ鹿島は強いのですか?」という勝った要因よりも、負けた要因を聞かれることが多いのは、この3連覇で13個目のタイトルを獲得した鹿島ならではなのかもしれない。だが、鹿島が5連敗したのは延長Vゴールが廃止されてからチームワーストとなる記録だ。確かに異常事態だったと言えるだろうし、多くの人が興味を持つのも分かる。
あのとき鹿島では何が起きていたのだろうか。
■走ることで中盤は“いびつな構造”に
「大学のころだったら、僕もみんなを集めて『こうやってディフェンスしよう』と話していたと思う。でも、鹿島でそれをやってしまうとみんなの長所を打ち消すことになる。鹿島はいい意味で1人1人の個性が強いチーム。その特長を出そうとするのが鹿島のやり方なんだと入団してしばらくして分かりました」
勝てなかった時期、お互いの長所を生かすサッカーができていなかったのだと岩政大樹は言う。小笠原も青木剛も、ボランチとしては同タイプの守備をする選手で、ボールを奪われたら、まずそこに寄せる早さを特長としている。全体の運動量が高かった前半なら、彼らがボールに寄せていっても空いたスペースを別の選手が埋めることができていたのだが、疲労のたまった後半戦ではそれも難しかった。
とはいえ、ボールへ寄せるプレーが彼らの最大の特長であるならば、それを抑制してしてしまうのではなく、助長することで勝つのが鹿島のやり方だった。だから、岩政は「センターバックの前に残ってくれ」と言うのではなく、「走れ」と味方を叱咤激励していたのである。
だが、皮肉なことに、走れる青木が前線に飛び出して攻撃をサポートしようとすると中盤の底でパスを受けるのは小笠原一人になってしまう。そのため、相手チームは小笠原に狙いを定めてプレスをかけるようになっていた。これを見ていた本山雅志や野沢拓也がポジションを下げて小笠原のサポートに走ろうとなる。すると攻撃的なセンスを持った彼らがゴールから遠ざかり、攻撃の点で見劣りする青木がゴール前に顔を出すという“いびつな構造”ができあがっていたのである。
■悪循環に陥る中、紅白戦に変化

JリーグMVPにも輝いた小笠原。中田とのダブルボランチで安定感をもたらした【写真は共同】
鹿島のディフェンスはオズワルド・オリヴェイラ監督就任以降、相手にボールを奪われると最前線のFWから素早くボールにアタックして、高い位置で奪い取る切り替えの鋭さを武器にしてきた。意識の高さと運動量を必要とされるやり方だが、先制点を奪えばゲームをコントロールするすべにも長けているため、うまく試合を終わらせることができていた。
しかし、夏場に入ると連動性の高かったプレスのタイミングが遅くなり、逆サイドまでパスを回されてしまう回数が増えるようになる。相手を走らせるつもりが、逆に自分たちが走り回ることになってしまうという悪循環に陥っていた。
今季、鹿島を取材していて忘れられない光景がある。10月15日の木曜日に行われた紅白戦で、主力組は控え組の前に手も足も出なかったのだ。それまで見た紅白戦の中で、最も内容が悪かった。
練習終了後、オリヴェイラ監督はグラウンドに全員を座らせ選手たちの奮起を促した。断片的に聞こえてくる声は「ハートを持って戦え」「声を出して助け合え」「走ることから始めろ」「下を向いてどうする」と強い口調だった。しかし、話が終わった途端、すくっと立ち上がり三々五々に帰っていく選手たちからは、監督と同じような熱を感じることはなかった。選手たちがグラウンドから去った後、オリヴェイラ監督と鈴木満強化部長は、かなり長い時間をかけて話し合っていた。
そして、翌日に変化が見られる。本来なら試合前日の練習はセットプレーの確認で終わるはずが、この日も紅白戦を実施。先発から本山が外れ、2列目は野沢と小笠原、そしてボランチは青木と中田浩二が組んでいたのである。17日のジュビロ磐田戦では、圧倒的に攻められはしたものの無失点に抑えることができた。攻撃陣は渋い表情の選手が多かったものの、守備陣からは「ゼロに抑えられたことは大きい」という声が伊野波雅彦や岩政のセンターバック陣から聞かれ、その言葉通り、この後は最終節まで連勝を続け、3連覇の階段を駆け上がっていくのである。
■小笠原・中田の新ボランチコンビで復活
磐田戦では青木・中田のコンビだったボランチも、その次のジェフ千葉戦ではさらに組み合わせが変わり、小笠原・中田となった。このコンビに変更してからは全勝、さらに失点もG大阪に喫した1点のみ。中田がセンターバックの前にどっしり構えることで、小笠原がすぐにボールに寄せていくプレスを敢行しても守備バランスは崩れることがなくなり、それに伴って小笠原、本山、野沢の3人が少しずつゴールに近づいてプレーできるようになったのである。
「青木が飛び出る部分をミツ(小笠原)が出るようになって、浩二が残るようになった」
本山は中田が入ることで変わった部分を、そう説明してくれた。
苦しい時期を乗り越え優勝した後、小笠原は「戻るところがあった」と、ジタバタしなかったことがタイトル獲得につながったと話した。しかし、それは単純に元通りになったことを意味しない。
運動量が上がらない中で、どうすれば自分たちのサッカーを取り戻すことができるのか、自分たちの特長を生かすことでそのサッカーを取り戻すことができるのか、耐えに耐えて考えぬいた賜物(たまもの)と言えるだろう。
ただ、昨季も青木が前、中後雅喜(千葉)が後ろという形で、小笠原がけがで抜けた穴を埋めて乗り切っている。1人1人個性の強い選手たちが、それぞれにチームのことを考え、自分の特長を最大限に引き出そうとしているからこそ、5連敗を乗り越えただけでなく3連覇という前人未踏の記録が可能になったのだ。
<了>
田中滋
田中氏のコラムである。
前回のスポーツナビコラムではユダの復活までを追い、今回はユダの先発固定による快進撃を述べておる。
田中氏はエルゴラッソの記事でもユダのボランチ固定が優勝へのキーワードであったと書いており、満男&ユダコンビにご執心である。
実際にジュビロ戦以降、リーグ戦6戦無敗、天皇杯2連勝と波に乗った感がある。
注目すべきは失点でリーグ戦と天皇杯8試合で合計2点と非常に締まっておることがわかる。
しかしながら、ユダ一人替えただけでこの結果になったわけではない。
バランスの妙がはまっただけであると断言出来よう。
青木を起用し、連勝もあり得たはず。
田中氏のコラムにもあるように、昨季は青木と中後で優勝しておるのである。
要は選手間の修正力であろう。
田中氏の言葉を借りれば「耐えに耐えて考え抜いた賜物」なのである。
選手全員が考え、走り、手に入れた三連覇である。
心から祝福を送りたい。
とはいえ、個人的には危機的状況を救った救世主であるユダの才能には改めて目を見張った。
昨年夏の復帰がここで効いてきたと言えよう。
本当に感謝したい。