fc2ブログ

鹿島を支える力

【支える力 鹿島アントラーズ3連覇】(上)「雄飛寮」管理人・高野圭史さん
2009.12.22 02:13
 復帰組を除けば他クラブから加入した日本人選手は歴代4人だけ。選手を育て、「生え抜き主義」を掲げる鹿島アントラーズにとって、カシマスタジアムと練習場の中間に位置する独身寮「雄飛寮」は特別な意味を持つ。
 Jリーグ開幕を翌年に控えた平成4年、寮が完成したときから管理人を務めているのが、高野圭史さん(66)だ。
 「本当は来たくはなかったんだよ。妻は喜んでいたけど」。当時東京で会社員をしていた高野さんに、住友金属の関連会社に勤めていた義理の兄から白羽の矢が立った。妻の実家が神栖市で、いずれは東京から転居するつもりだったこともあり、寮の管理人を引き受けたが、サッカーは素人。「手探りだったな。選手のプロとしての自覚に学んだことも多い」と振り返る。
 現在寮に在籍するのは、欧州から復帰した中田浩二のような大黒柱から今春高校を卒業したルーキーの大迫勇也まで17人。レギュラーにも、ゲームに出られない選手にも同じように対応していくが、選手とサッカーの話はほとんどしない。
 「彼女ができたんだけど、どこに連れて行ったらいいかとか、そんな相談くらいかな」
 そんな高野さんがサッカーについて唯一話す“儀式”のようなものがある。入寮する選手とその親に、お茶を飲みながら話すときだ。「ここに入るのは始まりに過ぎないんだよ」。鹿島に入団しただけで満足して錯覚することがないようにくぎを刺すためだ。
 管理人として最も力を注いでいるのは食事。選手の生活は練習場と寮の往復で、周りには遊ぶ場所は少ない。選手にとって食事は最大の楽しみ。何よりアスリートの肉体を作るために栄養バランスとカロリーに気を使う。
 「最初、昼は弁当を取っていたんだが、選手から何でもいいから作ってくれといわれた」。栄養士の助言を受けながら、妻、千枝子さん(66)とメニューの数を増やしていったが、そのうちの一つが豚肉と豆を煮込んだ「フェジョアーダ」。
 チーム創成期、ジーコやサントスらに振る舞われたブラジルの家庭料理は、今でもホームゲーム前日に寮に集合する選手たちの食卓に欠かさず登場する。
 「選手たちと対等に話ができるのが宝かな」
 寮の食堂の壁に張り付けられたチームの旗。Jリーグ初年に優勝し、選手たちがサインして贈った宝物を見つめながら、高野さんは至福の表情を見せた。
 ◇
 今季、Jリーグ史上初となる3連覇を達成し、国内獲得タイトル数を13に伸ばした鹿島アントラーズ。Jリーグ発足前は「99・9999%、加入は無理」とさえいわれたクラブが毎年優勝争いをする日本サッカー界の盟主となった。その背景にはピッチの外でクラブを支えた陰の功労者たちの姿があった。
(五十嵐一)

【支える力 鹿島アントラーズ3連覇】(中)通訳・高井蘭童さん
2009.12.24 02:14
 「サトウキビをかじりながら口笛を吹くことはできない」。鹿島アントラーズのオリベイラ監督は3連覇を決めた5日の記者会見で、ブラジルの格言を持ち出した。優勝を争っていたライバルチームの試合の経過を選手に伝えない理由を表現した一幕だ。
 オリベイラ監督が伝えたかったことは、ほかのチームの結果を気にせず、自分たちの試合だけに集中するということだった。
 日本のことわざに意訳すれば、「二兎追う者は一兎をも得ず」だと知っていたが、「ついつい直訳してしまった。まだまだ力不足ですね」。チームのポルトガル語通訳を務めて7年目になる高井蘭童(らんどう)さん(36)は苦笑いする。
 日本人の両親の元、ブラジル・サンパウロ市に生まれた。祖母の看病のため15歳で来日。短期滞在のはずだったが、気付けば日本での生活の方が長くなった。
 「ブラジルではサッカーは、空気のようなもの。当然、職業にしたかったけどなかなか機会がなかった」と振り返る。サッカー界に身を置くきっかけになったのは、郷里のサンパウロFCが世界一になったトヨタカップ観戦だった。ブラジルのクラブが遠征で来日した際にアルバイトとして雇われ、3クラブの通訳を経験。鹿島の通訳になったのは平成15年だ。
 高井さんには忘れられないシーンがある。ある試合で鹿島が攻めている最中なのに監督が突然立ち上がり、守備の選手の名前を叫んでいる。カウンターへの注意を呼びかけるものだったが、気付くことができずチームは失点した。「自分自身がゲームを観察できていたらあんなことにはならなかった」と悔やむ。
 監督と接している時間を増やして、意図をつかみ、ニュアンスを伝える。「監督がやろうとしていることができないのは自分の責任」と観察眼に磨きをかけてきた。監督が叫んでいないのに叫ぶのも「チームのためなら嫌われ役だってやる」という姿勢の表れだ。
 それが分かっているからこそ選手たちは「監督がしゃべっていないのに、しゃべっている」と、ちゃかしながらも信頼を置き、高井さんの言葉に耳を傾ける。
 「取りこぼしたタイトルがあるから」。Jリーグのタイトルだけでは満足しない気持ちは選手と同じだ。高井さんは来季に向け、闘志を込めた。
(五十嵐一)

【支える力 鹿島アントラーズ3連覇】(下)強化部担当部長・長石博之さん
2009.12.24 02:21
 「まあ、バランサー(バランスを取る役)かな」。チーム内での役割を聞かれると、笑みの下に自信をうかがわせてそう答えるのは鹿島アントラーズで強化部担当部長を務める長石博之さん(42)だ。
 ディープレッドの常勝軍団に身を置いて、19年になる。平成元年、鹿島の前身である住友金属蹴球団に入り、2年後にマネジャーに就任。「当時は専用グラウンドもなかった。でも我々にはジーコがいた」。平成8年に初の年間王者に輝くまでの期間は「測量し土台を作ってコンクリートを流し込む期間だった」と振り返る。チームの土台作りということだ。
 その後、タイトル獲得を続け、常勝軍団として安定すると、チーム内には、今まで通りでいいという空気が漂っていたという。
 「10年前とは違う。このままではダメだ」と警鐘を鳴らしたのは18年に就任したアウトゥオリ監督だった。「ハッとしたね。ひび割れを察知して補修するのが自分の役割だと再認識した」
 監督や選手は成績によって契約できるかが決まる。アウトゥオリ監督も成績不振を理由に1年で退任した。「契約状態が違うだけで、自分も社員としてのプロ。成功してチームに残る」という意識で、現場とフロントの架け橋という重責を担う。
 仕事はスケジュール管理、遠征時の移動手段やホテルの手配、予算管理、さらには合宿時の食事のメニュー作りと多岐に渡る。手が空いていれば練習場でボール拾いも買って出る。帰宅しても電話一本で仕事場に戻らねばならないこともある多忙さの中で、長石さんを支えるのは「決定権を与えられ、その判断でチームが動いている」という自負だ。
 就任以来のメモは膨大な量になった。バス移動の際には、メモを元に長石さんの脳がフル回転する。「土曜日はこの道は渋滞する」「定刻通り出発しない場合の空き時間、選手たちをどこで休ませるか」。敵地からの帰り、新幹線に出発わずか1分前に乗り込んだこともある。
 息抜きは遠征先での朝のランニング。夜は不測の事態に備えて外出できない。だが、選手が寝ている間だけが自由の時間。「軽く汗を流して、朝の冷たい外気を吸い込む。そうすると、今日も頑張ろうという意欲がわいてくる」。誕生からチームを知る男は歩みを止めることはない。
(五十嵐一)

「縁の下の力持ち」の紹介である。
「雄飛寮」管理人・高野圭史氏、通訳・高井蘭童氏、強化部担当部長・長石博之氏の三人についてそれぞれ記事に起こされておる。
彼らの力なくして三連覇はあり得なかった。
高井蘭童氏はホーム最終戦でのオリヴェイラ監督の絶叫を通訳しておるので、サポーターにはお馴染みである。
長石博之氏は鈴木満強化部長の片腕として、日夜激務に励んでいる様子。
そして、高野圭史氏とその奥方である。
絶品のフェジョアーダは選手達のエネルギーの源である。
鹿島の勝利の陰に多くの人々の努力が隠れておる。
我等のも努力し、勝利へ貢献したい。
聖地巡礼がその努力の一つである。
多くの声援を送り、選手達を、監督を、そして裏方の人々を励まそうではないか。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Fundamentalism

Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

カレンダー
05 | 2023/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブログ内検索
RSSフィード
リンク