深井、新潟へ
深井正樹選手の期限付き移籍について
深井正樹選手は2007年2月1日よりアルビレックス新潟への期限付き移籍が決定しましたのでお知らせいたします。
■期限付き移籍先 : アルビレックス新潟
■期限付き移籍期間: 2007年2月1日 〜 2008年1月31日
■プロフィール :
氏名 深井正樹(ふかい まさき)
生年月日 1980年9月13日
身長/体重 161cm/61kg
ポジション FW
出身地 山梨県
経歴 韮崎高校―駒澤大学― 鹿島アントラーズ
■出場記録 :
チーム リーグ戦 カップ戦 天皇杯
2003 鹿島 22(2) 5(0) 4(2)
2004 鹿島 20(3) 6(2) 3(0)
2005 鹿島 27(4) 6(0) 2(0)
2006 鹿島 23(4) 11(1) 3(1)
( )は得点
■深井正樹選手コメント:
「厳しい状況の中に自分を置くことでサッカー選手としてもうひとまわり大きく成長したいと考え移籍を決断しました。クラブには自分の思いを理解してもらい感謝しています。アントラーズサポーターの皆さんには素晴らしい応援本当にありがとうございました。」
ここで、鹿島に於ける深井正樹を思い起こしてみたい。
2003年新人であった深井は開幕戦から途中出場している。
(その前にACL上海申花戦にて出場している)
結果は残せなかったが即戦力としての期待が伺える。
初ゴールは2ndステージホームのガンバ大阪戦。
0-1での劣勢から左足を振り抜きゴール。
この日は右サイドの深井ゾーンからもう1得点をあげている。
2004年はレギュラーとしてFJとの2TOPで開幕を迎える。
第2節で得点し、第6節までスターティングメンバーとして名を連ねた。
しかし、その後リーグ戦ではレギュラー落ちし途中出場またはMF起用となっていった。
天皇杯はFW起用されたが無得点に終わる。
2005年はこの年ブレイクした野沢にFWのポジションを奪われた形でMF起用されていく事となる。
監督の替わった昨季は再び開幕でFWとしてスターティングメンバーに戻ってきたが、その一試合でアレックス・ミネイロの怪我が癒えた後はサブにポジションを移すこととなる。
そして、天皇杯ホンダFC戦に於いて田代との2TOPを組み良い結果を出したところが前半で負傷し交代。
ここでほぼ彼は2006年シーズンを終えることとなった。
どのような時にも精神力は伝わってきていただけに、不運を持った選手であるという印象である。
一昨年、チームを去るトニーニョセレーゾ監督が雑誌インタビューでシュートの下手な選手に挙げていたことが物語る。
(因みにシュートの上手い選手は本山と野沢)
深井の運命は、やはり、何と言っても2003年ナビスコ杯決勝戦であろう。
開始早々、エウレルの折り返しをどフリーにも関わらず合わせられなかった。
あのシーンが全てである。
ヒーローか否か。
チャンスは充分にあった。
それは観てきた我等より深井本人の方が自覚しているだろう。
だからこそ河岸を変えるのかも知れぬ。
4シーズン。
半荘4回、そろそろ場替えと言いたいのであろう。
それも良い。
さらば、それ以上でもそれ以下でもない。
次に会うのは憎むべき敵としてである。
肉親である兄が刺客として現れたようなもの。
故郷は後にせねばなるまい。
ミツの待つ甲斐の国へ行くべし。
深井はミツも甲斐も選ばなかったが。
深井正樹選手は2007年2月1日よりアルビレックス新潟への期限付き移籍が決定しましたのでお知らせいたします。
■期限付き移籍先 : アルビレックス新潟
■期限付き移籍期間: 2007年2月1日 〜 2008年1月31日
■プロフィール :
氏名 深井正樹(ふかい まさき)
生年月日 1980年9月13日
身長/体重 161cm/61kg
ポジション FW
出身地 山梨県
経歴 韮崎高校―駒澤大学― 鹿島アントラーズ
■出場記録 :
チーム リーグ戦 カップ戦 天皇杯
2003 鹿島 22(2) 5(0) 4(2)
2004 鹿島 20(3) 6(2) 3(0)
2005 鹿島 27(4) 6(0) 2(0)
2006 鹿島 23(4) 11(1) 3(1)
( )は得点
■深井正樹選手コメント:
「厳しい状況の中に自分を置くことでサッカー選手としてもうひとまわり大きく成長したいと考え移籍を決断しました。クラブには自分の思いを理解してもらい感謝しています。アントラーズサポーターの皆さんには素晴らしい応援本当にありがとうございました。」
ここで、鹿島に於ける深井正樹を思い起こしてみたい。
2003年新人であった深井は開幕戦から途中出場している。
(その前にACL上海申花戦にて出場している)
結果は残せなかったが即戦力としての期待が伺える。
初ゴールは2ndステージホームのガンバ大阪戦。
0-1での劣勢から左足を振り抜きゴール。
この日は右サイドの深井ゾーンからもう1得点をあげている。
2004年はレギュラーとしてFJとの2TOPで開幕を迎える。
第2節で得点し、第6節までスターティングメンバーとして名を連ねた。
しかし、その後リーグ戦ではレギュラー落ちし途中出場またはMF起用となっていった。
天皇杯はFW起用されたが無得点に終わる。
2005年はこの年ブレイクした野沢にFWのポジションを奪われた形でMF起用されていく事となる。
監督の替わった昨季は再び開幕でFWとしてスターティングメンバーに戻ってきたが、その一試合でアレックス・ミネイロの怪我が癒えた後はサブにポジションを移すこととなる。
そして、天皇杯ホンダFC戦に於いて田代との2TOPを組み良い結果を出したところが前半で負傷し交代。
ここでほぼ彼は2006年シーズンを終えることとなった。
どのような時にも精神力は伝わってきていただけに、不運を持った選手であるという印象である。
一昨年、チームを去るトニーニョセレーゾ監督が雑誌インタビューでシュートの下手な選手に挙げていたことが物語る。
(因みにシュートの上手い選手は本山と野沢)
深井の運命は、やはり、何と言っても2003年ナビスコ杯決勝戦であろう。
開始早々、エウレルの折り返しをどフリーにも関わらず合わせられなかった。
あのシーンが全てである。
ヒーローか否か。
チャンスは充分にあった。
それは観てきた我等より深井本人の方が自覚しているだろう。
だからこそ河岸を変えるのかも知れぬ。
4シーズン。
半荘4回、そろそろ場替えと言いたいのであろう。
それも良い。
さらば、それ以上でもそれ以下でもない。
次に会うのは憎むべき敵としてである。
肉親である兄が刺客として現れたようなもの。
故郷は後にせねばなるまい。
ミツの待つ甲斐の国へ行くべし。
深井はミツも甲斐も選ばなかったが。