隆行凱旋帰国か?
横浜が、セルビア1部レッドスターの元日本代表FW鈴木隆行(30)獲得に動いていることが分かった。レッドスターのストイコビッチ会長が明らかにした。
鈴木は昨年1月に鹿島から2年契約の完全移籍でレッドスターに移籍も、今季就任したバイエビッチ監督の構想から外れた。FWアイウトンの加入もあり、今季はセルビア杯2試合の出場にとどまり無得点。昨年11月8日の同杯準々決勝ズビンポトク戦に先発し、58分間プレーして以降、実戦からも遠ざかっている。
一方横浜はFW久保の退団が決定し、FW陣の補強が急務となっていた。そこで代表Aマッチ通算55試合11得点、J1通算105試合17得点の鈴木に白羽の矢を立てた。鈴木が2年ぶりにJの舞台に舞い戻ってくる可能性が出てきた。
[2007年1月16日8時28分 紙面から]
横浜Mが鈴木隆行を獲得へ…レッドスターのストイコビッチ会長語る
【ベオグラード=15日】セルビア・スーパーリーグの強豪、レッドスターのストイコビッチ会長は15日、同クラブに所属する元日本代表FW鈴木隆行(30)=写真=の獲得に、J1横浜Mが乗り出したことを明らかにした。横浜M側も「契約はしていないが、これから代理人を含めて話す」と認めており、移籍成立の可能性が出てきた。
鈴木は2002年W杯で活躍した後にベルギーのクラブでプレー。06年1月にJ1鹿島からレッドスターに2年契約で移籍した。
横浜Mは、元日本代表FW久保竜彦の移籍が決まり、FW陣の強化が急務となっている。
◆ストイコビッチ・レッドスター会長
「横浜Mが文書でオファーを出せば、鈴木はすぐに飛行機に乗るだろう。彼が日本でプレーしたいというのなら、われわれには何の問題もない」
横浜がレッドスター・鈴木獲り!
セルビアのレッドスターに所属している元日本代表FW鈴木隆行(30)の横浜移籍が15日、濃厚となった。レッドスターのストイコビッチ会長が「横浜が正式オファーを出せば、彼はすぐに飛行機に乗るだろう。われわれには何の問題もない」と明言。横浜側も「これから代理人を含めて話す」と獲得の意思があることを認めた。横浜は元日本代表・久保竜彦(30)が14日に退団し、急きょ新FW補強に着手。経験と実績のある鈴木に白羽の矢を立てた。鈴木は昨年1月に2年契約で移籍したが、今季リーグ戦出場はなし。代理人の今時靖氏は「年齢的にも日本復帰を考えなければ。移籍金もかからない」と以前から移籍に向けて動いていた。あとは海外志向の強い鈴木の決断次第という状況だ。
[ 2007年01月16日付 紙面記事 ]
横浜M緊急補強!久保代役に鈴木隆行 16日にも正式契約
サッカーJ1の横浜Mが元日本代表FW鈴木隆行(30)=レッドスター・ベオグラード=を獲得することが15日、明らかになった。移籍金ゼロの完全移籍で、複数年契約で調整中。横浜MはFW久保竜彦(30)の横浜C移籍を受け、オファーを出していた。16日にも正式契約を交わし、19日に帰国。20日の新入団発表に出席する見通し。鈴木は1年ぶりのJ復帰で13度目の移籍。2002年日韓W杯の1次リーグ、ベルギー戦の同点ゴールで日本を救った男が名門復活の切り札になる。
電光石火の獲得だった。FW久保の流出が決定的になったのが10日。それからわずか5日で鈴木の獲得が決まった。白羽の矢を立てた最大の理由は2002年日韓W杯など、大舞台の経験が豊富なことと勝負強さだ。レッドスターとの契約は6月まで残るが、ストイコビッチ会長が移籍金なしでの移籍を許可し、完全移籍が決まった。
現在は鈴木サイドと横浜M側が複数年契約の方向で調整中。トルコ合宿に参加中の鈴木は、16日にも代理人を通じて横浜Mと合意した後、19日に帰国し、20日の横浜Mの新体制発表に参加する予定だ。
鈴木は06年1月に鹿島から完全移籍。昨季は国内カップ戦を含めて6試合に出場。昨年4月のラドニツキ戦では2ゴールも挙げていた。だが、今季はバイエビッチ新監督から戦力外扱いされ、ベンチ外が続いた。本人は欧州挑戦の継続を希望する反面、クラブ内での不遇に葛藤(かっとう)。今季途中には中東のクラブからオファーを受けるなど、新天地も模索し始めたところ、横浜Mからのオファーが舞い込んだ。
鈴木にとって、1年ぶりの国内復帰は勝負の場だ。ジーコ・ジャパン時代、指揮官から一時はFW陣の核と名指しされた。しかし、05年の同予選突破以降、徐々にその存在感は影を潜め、最終的にドイツW杯メンバーから落選した。
その裏には体調不良があった。05年夏ごろ、原因不明の不眠症に襲われ、パフォーマンスの質も低下。同9月には薬を使って強制的に眠るようになった。「夏場はホントきつくて、よく試合をしていたなと思う。10時くらいに布団に入ってもずっと起きてて。不眠症って一種の病気でしょ?」そう振り返る鈴木の表情は暗く、代表どころではなかった。
レッドスターでの苦難を乗り越えた鈴木だけではなく、2季連続無冠に終わった横浜Mも今が正念場。鈴木が本来の勝負強さを発揮すれば、鈴木もチームも、再び輝きを取り戻すはずだ。
◆鈴木の勝負強さアラカルト
▽CFZ 97年にブラジル・リオ州3部のチームにレンタル移籍し7得点。エースとして2部昇格に貢献。
▽市原 98年のJ1参入決定戦第2戦(対福岡)で先制弾。J1残留を果たした。
▽鹿島 00年8月に復帰し、ナビスコ杯5戦3発、リーグ5戦2発、天皇杯5戦2発でチーム3冠の原動力に。
▽日本代表 01年6月のコンフェデ杯カメルーン戦で初先発し2得点。02年W杯1次リーグ・ベルギー戦では日本の初ゴールを決めた。04年10月のW杯アジア1次予選・オマーン戦でも決勝弾。ジーコ監督からは「FWの軸」と指名された。
◆鈴木 隆行(すずき・たかゆき)1976年6月5日、茨城県生まれ。30歳。日立工から95年、鹿島入団。その後、市原や川崎などにレンタル移籍を経験し、02年はベルギー1部のゲンクへ。翌年は同国のゾルダーに所属した。鹿島に復帰後、昨年1月にレッドスター・ベオグラードに完全移籍。02年の日韓W杯では1次リーグ初戦、ベルギー戦で貴重な先制点を挙げるなど、主力として決勝トーナメント進出に貢献。国際Aマッチは55試合11得点。182センチ、75キロ。
(2007年1月16日06時02分 スポーツ報知)
深井に続き新たなる敵が現れる予感である。
鈴木隆行。
しかしながら2005年に心を病んでいたとは全くもって存外である。
あの年はもう一歩で優勝であった。
もう1点で栄冠を得ていた。
その得点を隆行に被せてしまったことを後悔している。
FWたる者得点が全てである。
だが、その前に人間なのである。
当時の日本代表監督であったジーコがメンタルの問題と称して代表から外したことを思い起こすと、並々ならぬ苦悩が隆行にも鹿島アントラーズにも日本代表にもあった事が容易に想像される。
そして今、彼は選択をすることとなる。
戦力外のレッド・スターに残るべきか、この日本の地で邪悪なる敵としてピッチに立つかを。
一度は死んだ身。
その死に体にとどめを刺す役目を承るのは、当然の事ながら得点力のある隆行こと田代有三の役目であろう。
平蜘蛛を持って自爆せしめる役目である。
敢えて御開門とはならぬであろう。