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おしゃべりな岳の素顔

鹿島のルーキー柴崎岳、高いレベルに順応できる力
「情熱的で献身的なマイペース」の19歳

2011年10月31日(月)

■宇佐美、宮市ら「プラチナ世代」の筆頭


ナビスコカップ決勝で高卒ルーキーながら先発フル出場を果たした柴崎(左)。1年目で自身初となるタイトルを獲得した【写真は共同】

 ナビスコカップ決勝でただ一人、高卒の新人選手がスタメンに名を連ねた。鹿島アントラーズ期待のルーキー柴崎岳は、試合開始のホイッスルから優勝が決まったタイムアップの瞬間まで、国立のピッチに立ち続けた。
 現在、日本サッカー界の将来を担うネクストジェネレーションとして頭角を現しつつある「プラチナ世代」。その筆頭には、宇佐美貴史(バイエルン・ミュンヘン)、宮市亮(アーセナル)と若くして海を渡った者が挙げられるが、柴崎もまた、その最前線を走る才能豊かな選手の1人である。

 青森県の北東部にある野辺地町で生を受けた柴崎。東北の天才少年として、野辺地SSS時代から県内では注目の存在であった。中学校は名門・青森山田中に進学。中学生とは思えない落ち着きはらったプレーを見せつけ、中学3年時には飛び級で青森山田高のレギュラーをつかむまでになった。中学2年生から3年生に進級する春、柴崎と初めて会った時に強烈な印象を受けた。彼は関東でのフェスティバルに青森山田高の一員として参加。当時から表情は大人びていて、プレーも落ち着いていた。
「年齢は関係ないと思っています。僕は一番年下ですが、サッカーなのでやることは変わらないし、こうしてうまい人たちとできるので、チャンスだと思っています」

■百戦錬磨の選手がそろう鹿島でも出番をつかむ

 柴崎は上のカテゴリーに放り込まれても、すぐに順応する能力を兼ね備えていた。中学生で高校生のチームに順応するのは非常に難しい。この年代の1学年差は成長速度から言っても非常に大きく、ましてや彼が務めるボランチは周りを動かす立場であり、思い切りトライできるサイドMFやFWなどと違って、難しいポジションでもある。だが、中学生の柴崎は、デビュー戦からすんなりとフィットした。それどころか、柴崎が指示を出して、自らボールを呼び込んでは、上級生たちを巧みに操っていたのだ。

 それは年代別の日本代表においても変わらなかった。プラチナ世代と呼ばれる同年代には、宇佐美、高木善朗(ユトレヒト)、宮吉拓実(京都)、堀米勇輝(甲府)と技術の高いJユースのタレントがそろっていたが、その中でも柴崎の存在は際立ち、チームにとって欠かせない存在になっていった。しかも、彼は単にフィットするだけでなく、そこから突き抜けることができる。青森山田高では中学3年生ながら不動のレギュラーに定着し、進学後は絶対的な存在に。また、U−17日本代表ではナンバー10を背負い、U−17ワールドカップで中盤の核を担った。

 そして鳴り物入りで入団した鹿島においても、けがこそあったが、百戦錬磨の選手がそろう中で、1年目から早々と出番をつかんだ。気がつけばスタメン起用されるようになり、冒頭で述べたように、ナビスコカップ決勝で120分フル出場し、自身初のタイトルを手に入れた。また、ロンドン五輪を目指すU−22日本代表候補にも選出されている。

■クールに映るも、素顔はおしゃべりで熱血漢


U−22日本代表にも選出。チームの状況に自分のプレーをアジャストできる能力も強みだ【写真は共同】

 なぜ、柴崎は高いレベルでもすぐに順応できるのか。それは卓越した技術だけが理由ではない。彼は一見クールに映るが、実はかなりの熱血漢である。メディアは柴崎を語る際、冷めている、動かない、口数が少ないと表現しがちだが、それは高校時代のマスコミ応対、プレースタイルの印象が強いからだろうか。

 しかし、実際の柴崎は非常におしゃべりだし、言葉をよく知っている。頭の回転が速く、思っていることを言葉にするのもうまい。何より、言われたことに対する反射神経もいい。青森から鹿島に移る時、「ずっといた青森を離れるのは寂しい?」と聞くと、「青森県に18年間住んでいますからね。雪がないところでサッカーができるということは最高なんじゃないですかね(笑)。地元を離れる寂しさはありますが、年に何度かは帰って来れますし、新青森駅もできましたからね(笑)。青森新幹線に乗ってみたいな。ファーストクラスとかありますからね」と18歳(当時)らしい無邪気な一面を見せた。かと思えば、「プロに入ってから対戦したい選手は?」と尋ねると、「ガンバ大阪の某選手の名前(=宇佐美)を口にすればいいですか(笑)」と返す余裕もある。

 サッカーに対する情熱、向上心も強烈だ。加えて、現在の自分の立ち位置を冷静に受け入れ、周りを見て判断できる力を備えている。最後の高校選手権を迎えるにあたって、彼はこう語っている。
「自分がこれから行く世界は、より自立しないといけない世界。親からの自立、監督からの自立、周りからの自立。こういう周りの人たちからサポートされながらサッカーができるのは、高校サッカーまでですよね。ここから先はそんな優しい世界ではないことは理解しています。だからこそ選手権は、今までサポートをしてくれた人たちに感謝の気持ちを表現する大会にしたい」
 これはそう簡単に口にできる言葉ではない。周りに対して素直に感謝し、行動に移す。そこにはオーバーなリアクションや派手なリップサービスはいらない。あくまで自分の表現方法で分かってもらえればいいという考えだ。

■状況に応じて生かす側、生かされる側を選択

 プレー面でも常に練習から味方のスタイル、チームの状況を客観的にとらえ、それに対して自分のプレーをアジャストできるのも強みだ。

 U−22日本代表合宿時、「元からあったチームに入る難しさはあります。既存のチームに溶け込むには努力しないといけないし、チームのコンセプトを理解して、自分のプレーをアジャストさせないといけない。自分勝手なプレーはあってはならないことなので、まずチームの理解を深めて、自分のプレーを出していきたい。基本的には鹿島でやっていることがベース。鹿島でやっていることが評価されて、こうして呼ばれたわけですから、まずはその部分を出して、プラスアルファでこのチームのコンセプトに合わせたい」と語っていた。我を貫くのは、それがチームとして機能すると確信した時で、それ以外では周りの状況を見ながら、チームとして生きるプレーを選択できる。その証拠に、彼は生かすプレーだけでなく、生かされるプレーも好む。

「誰かのパスに操られたり、誰かのためにスペースを作ったりと、相手に使われるプレーも好きなんです。特にうまい選手には生かされたい気持ちが強い。別に自分が使う側に立たなくても、自分がより生かされるのであれば、それでいい」
 この言葉の裏には、自らが率先して献身的に動きたいという意思が見える。実際、青森山田では絶対的司令塔だったため、周囲を生かす側に立ったが、U−17日本代表では、宇佐美や小島秀仁(浦和)など実力者がいたため、生かされる側に回ることもあった。現在、鹿島では何度もフリーランニングを繰り返して生かされる側に、U−22日本代表では中盤の底で生かす側と、状況を見ながら自分のプレーを選択し、高いレベルでこなしている。

 精神的にも落ち着いて周りが見えている。だが、決して冷めているわけではなく、負けず嫌いで、向上心は絶やさない。
「あくまで僕は僕だし、人に流されるような性格ではないので、常にマイペースでいきたいですね。いきなりドンと活躍して、その後、トーンダウンしてしまう選手もいると思うので、そうならないようにしないと」
 こう話す柴崎を表現するならば、『情熱的で献身的なマイペース』とでも言おうか。これこそ、彼のスタンスである。今後、鹿島で、そしてU−22日本代表でどう進化していくのか。楽しみな19歳の行く末を、これからも追い続けたい。

<了>


プレイに於いては沈着冷静な岳の素顔はおしゃべりで熱血漢とのこと。
頭の回転が早く、良い頭脳を持っておることもわかる。
サッカーに必要な「3つのB」のうち最も鍛えにくいBrainを有している選手と言えよう。
今も素晴らしいプレイを魅せてくれるが、今後が更に楽しみである。

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鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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