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ウニベルシダ・デ・チリというクラブとは

[ 8月1日(水)開催!スルガ銀行チャンピオンシップ2012 IBARAKI ] 対戦相手情報をチェックしよう!

2011Jリーグヤマザキナビスコカップを制した鹿島アントラーズと、南米のコパ・ブリヂストン・スダメリカーナ2011を制したウニベルシダ・デ・チリが対戦するスルガ銀行チャンピオンシップ2012 IBARAKIがいよいよ8月1日(水)に迫りました。
先日行われた大会の開催発表会見でもジョルジーニョ監督(鹿島)が「コパ・ブリヂストン・ズダメリカーナ2011で素晴らしいメンバーがいたフラメンゴ相手に打ち勝った力を持ったチームですし、ベテランと若手が融合していて、GKも優秀で、他にも危険性を持った選手がそろっている」と語っていましたが、チリサッカーの実力とは…?
鹿島アントラーズOBでもある名良橋晃さんと、南結衣さんが現地で取材されていますので、チェックしてみてください!(写真はチリ大学の学生に直撃取材をする南結衣さん)

【第1回】南米サッカー通 名良橋晃が語る チリサッカー、南米サッカーの魅力


文=池田敏明
写真=市川陽介、ウニベルシダ・デ・チリ

「みんな、人生賭けてますよね」。

 元日本代表で鹿島アントラーズのOBでもある名良橋晃さんは、南米サッカーの魅力についてそんな言葉で表現してくれた。

 デコボコのピッチで繰り広げられる、テクニカルでスペクタクルなプレー。選手やサポーターがストレートにぶつける、むき出しの感情。紙吹雪、発煙筒、ロケット花火、スタンドを覆う巨大フラッグ、そして飛び交う罵声と歓声。選手も、監督も、そして観客も、まさに命懸けで目の前の90分間に挑む。現役時代、鹿島で数多くのブラジル人選手とプレーし、現在はコパ・ブリヂストン・スダメリカーナやコパ・リベルタドーレスの解説を担当している“南米通”の名良橋さんにとって、かの地で繰り広げられるサッカーは「一味もふた味も違う」という。



「スルガ銀行チャンピオンシップ2012」でヤマザキナビスコカップ優勝チームの鹿島が対戦するウニベルシダ・デ・チリは、コパ・ブリヂストン・スダメリカーナ2011を制して南米王者に輝いたチリの名門。名良橋さんはその現状を取材すべく、チリ・サンティアゴへ足を運んだ。チリサッカー連盟を表敬訪問してセルヒオ・ハドゥエ会長に話を伺い、ウニベルシダ・デ・チリのクラブハウスではトレーニング施設を見学して選手や関係者らにインタビュー。

 そしてチリ国内最大のイベント、ウニベルシダ・デ・チリとコロコロの“スーペル・クラシコ”を観戦した。その衝撃的な展開と結末に、名良橋さんは「自分が試合に出るわけじゃなかったけど何故か武者震いしたし、あの結果にはグッときた」と、チリサッカーのレベルの高さを改めて実感していた。



 チリのサッカーと言えば、イバン・サモラーノ、マルセロ・サラスの“サ・サ・コンビ”を思い出すファンもいるだろう。奪ったボールを素早く前線に預け、ワールドクラスの実力を持つ2トップの個人技に託す。中盤から最終ラインにかけては弱さが垣間見えたものの、2人が奏でるハーモニーでゴールを量産し、世界中のファンを魅了した。

 しかし今、チリサッカーは目まぐるしくレベルアップしている。きっかけとなったのは2007年8月、マルセロ・ビエルサ監督のチリ代表監督就任だ。細かくパスをつなぎ、人数を掛けてスピーディーに敵陣を襲う超攻撃サッカーは、瞬く間にチリ代表をレベルアップさせた。彼自身は2011年1月に辞任したものの、名良橋さんは「今でもビエルサの影響力は残っていますね」と分析する。協会を表敬訪問した時、グラウンドではU−20チリ代表が練習試合を行っていたが、彼らが実践しているサッカーはまさにビエルサのスタイルだった。

「攻守の切り替えが速く、ショートパスをテンポ良く繋ぐサッカーを実践しています。それに前線の選手はスピード、センターバックは高さと強さを備えているなど、一人ひとりの個性、特長が活かされています。ビエルサによってすべてが変わりましたね」



 ブラジルやアルゼンチンに比べると地味な印象が拭えないチリサッカーだが、確かな実力を備えていることは紛れもない事実だ。

 そして今年8月に来日するウニベルシダ・デ・チリは、今のチリサッカーを象徴するチームと言える。

「いい意味で裏切られました。見ていてすごく楽しかったです」

 コロコロとのスーペル・クラシコ観戦後に名良橋さんが口にしたコメントが、その魅力をすべて物語っている。2012年8月1日、カシマサッカースタジアム。“南米のバルサ”と称されるほどの美しい攻撃を武器とするウニベルシダ・デ・チリのサッカーが、ついにベールを脱ぐ。

【第2回】南米サッカー通 名良橋晃の「チリサッカー、ココがすごい!」


文=池田敏明
写真=市川陽介、ウニベルシダ・デ・チリ

 2010年の南アフリカ・ワールドカップ、南米から出場したブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、そしてチリの5カ国がすべて決勝トーナメントに進出する中で、チリの16強進出は多少の驚きをもって伝えられた。スペイン、スイスと同グループという難しいグループステージを2勝1敗という好成績で突破。スペイン戦では37分に退場者を出すまで互角以上の戦いを演じ、決勝トーナメント1回戦でブラジルに敗れたものの、この大会で見せた超攻撃的なサッカーは各方面から高く評価された。

 チリサッカー協会のセルヒオ・ハドゥエ会長は、南米大陸におけるチリのポジションを「ブラジル、アルゼンチンに次いで“第2グループ”にいる」と話している。実際、現在行われているブラジル・ワールドカップの南米予選ではアルゼンチンに次ぐ2位につけており、本大会出場権を視野に入れた戦いを繰り広げている。現地取材した名良橋晃さんも「知名度はそれほど高くないと思いますが、僕は注目しています」とその実力に太鼓判を押している。


 名良橋さんは今回の取材で協会の本部を訪問し、ハドゥエ会長にインタビューする機会を得た。協会本部はサンティアゴ市のペニャロン地区にあり、オレンジを基調とした2階建ての建物とその裏に広がる2面のグラウンドが明るい雰囲気を醸し出している。



 グラウンドの一方ではU−20チリ代表が練習試合を行っており、ピッチサイドには若者たちに熱視線を送るチリ代表クラウディオ・ボルギ監督の姿もあった。

「育成年代で目立った活躍を見せる選手が現れた場合、フル代表に招集する可能性はあるのでしょうか」という名良橋さんの問いに対し、ハドゥエ会長は次のように答えてくれた。

「もちろんです。ボルギ監督は若手を重用する監督なので、有能な選手が現れれば南米予選に招集することもあるでしょう。彼はいつもこうして若年代の代表チームも視察しています。フル代表の選手層を厚くする意味でも、若い選手の台頭は必要です」



 ブラジルW杯の出場権獲得に加え、今のチリにはもう一つ、大きな目標がある。2015年に自国で開催するコパ・アメリカとU−17W杯だ。現在の代表チーム強化は2014年のブラジルW杯までではなく、その翌年のコパ・アメリカで優勝することを目指して続けられる。当然ながら若い選手を積極的に起用し、選手層を厚くしておかなければならない。そしてU−17W杯を目指すチームの強化は、その後のフル代表強化につながる。両大会で成功を収めることができれば、チリは今後、南米大陸で確固たる地位を築くことができるはずだ。



 現在のウニベルシダ・デ・チリには、23歳のMFチャルレス・アランギスやMFエウヘニオ・メナ、25歳のMFマルセロ・ディアスなど、ブラジルW杯で主力を務める可能性のある代表メンバーがいる。また、18歳のFWアンジェロ・エンリケスやDFイゴール・リチノブスキ、20歳のフェリペ・ガジェゴスらは年代別の代表に名を連ねており、こちらも将来の代表候補だ。


「スルガ銀行チャンピオンシップ 2012」には、現在そして未来の代表プレーヤーがそろって来日予定。来るべきブラジルW杯に向け、彼らがどんなプレーヤーなのかをいち早くチェックするのも楽しみの一つだろう。


 「個々の能力が高く、ショートパスをつなぐスタイルはチリ国内でもずば抜けています」と名良橋さん。ハドゥエ会長が「南米でもトップクラスのチーム」と胸を張るチリサッカー界きっての強豪、ウニベルシダ・デ・チリが、間もなく日本の地を踏む。

【第3回】ウニベルシダ・デ・チリってこんなチーム


文=池田敏明
写真=市川陽介、ウニベルシダ・デ・チリ

 ウニベルシダ・デ・チリは1927年5月24日、チリの首都サンティアゴで誕生した。その名前が示す通り、創設したのはチリ大学に通う学生で、当初は同大学のスポーツ部門に所属するチームだった。38年にプロリーグ参入を果たすと、40年には早くも初優勝。59年からはレオネル・サンチェスらを擁して第一期黄金時代を迎え、69年までの11年間で6度の国内リーグ制覇を達成したチームは“バレット・アスール”(青い弾丸)の異名を取った。



 1980年には大学学長とクラブ会長の話し合いにより、クラブが大学から分裂。以来、クラブは「ウニベルシダ・デ・チリ」の名を残しながらも、チリ大学からは独立した団体として運営されることになる。ただしファンの間では今でも両者の結び付きは強く、チリ大学の学生の中には「ウニベルシダ・デ・チリのファンだったからこの大学に入った」と胸を張る者や「子供の頃から大好きで、ソシオの会員証も持っている。週末は常にスタジアムに行って、ゴール裏で応援しているよ」という筋金入りのサポーターもいる。


 88年には2部降格を経験したが、90年代に入ると復活の兆しを見せ、94年、95年と国内リーグを連覇。その中心にいたのは、現在もファンの間で絶大な人気を誇るマルセロ・サラスだった。



 サラスは16歳の頃に出生地テムコからサンティアゴに移り、ウニベルシダ・デ・チリのアカデミーに加入。93年にトップチームデビューを飾り、4シーズンを過ごした。その後はアルゼンチンやイタリアで活躍し、05年にはウニベルシダ・デ・チリに復帰。キャプテンとしてチームをけん引し、08年12月に現役を引退した。ウニベルシダ・デ・チリで公式戦通算208試合113ゴールという偉大な成績を残し、今やその存在は伝説と化している。


 チリ大学のアンドレス・ベージョ・キャンパスでカフェテリアを経営するマリア・クリスティーナ・サラスさんは、自身のアイドルにサラスの名を挙げ、敬愛する理由を次のように語ってくれた。



「サラスはプレーヤーとしても超一流だったけど、紳士的な人物でもあった。まさに完全無欠の男だったのよ」


 若いファンや現役プレーヤーの中にも、サラスを憧れの存在に挙げる声は非常に多い。


 21世紀に入るとクラブの経営状態が徐々に悪化し、06年に経営破綻。翌07年は、「アスル・アスル」という企業に経営権を譲渡する。だが、この変化がピッチ内外に多くのメリットをもたらした。


 09年の国内前期リーグを制すると、10年には最新鋭のトレーニング施設兼クラブハウスが完成。11年には国内前期、後期を制し、初の国際タイトルとなるコパ・ブリヂストン・スダメリカーナ制覇も実現させた。


 チームは現在、62年チリ・ワールドカップでも使用されたエスタディオ・ナシオナルを本拠地としているが、2014年のオープンを目指して3万5000人を収容する新スタジアムの建設を進めるなど、クラブの成長はとどまるところを知らない。


 チームの勢いは今年に入っても全く衰えていない。国内前期リーグでは第5節オイギンス戦で不覚を取ったが、13勝3分け1敗という圧倒的な成績でプレーオフに進出。第14節、コロコロとの“スーペル・クラシコ”では、積年のライバルに5−0という大差をつけて圧勝している。また、コパ・リベルタドーレス2012でもグループステージを首位で勝ち上がり、決勝トーナメントではデポルティボ・キトにファーストレグ1−4からの大逆転勝利(セカンドレグ=6−0)、リベルターにPK戦の末に勝利と勝負強さを発揮している。「南米で最も攻撃的で魅力的なサッカーをする」という現地での評価は、偽りでも大げさでもない。

【第4回】名良橋晃&南結衣のサンティアゴ市街地案内


文=池田敏明
写真=市川陽介、ウニベルシダ・デ・チリ

 ウニベルシダ・デ・チリのホームタウンであるサンティアゴは、南北に細長いチリのちょうど中央あたりに位置する同国の首都だ。“南米”と聞くとアマゾンのジャングルやアンデスの山々といった雄大な景色をイメージする人も多いと思うが、サンティアゴは人口600万人を抱える大都市で、高層ビルがそびえ立つ地区もある。地下鉄や路線バス、他都市への長距離バスが整備されるなど交通網も発達しており、意外なほど近代的だ。



 セントロ(旧市街)は中心にアルマス広場と大聖堂があり、南北に延びるアウマダ通りは歴史的な面影を残しながらもデパートやスポーツショップ、ファストフード店が並び、平日でも多くの人で賑わっている。天気が良く、空気が澄んでいればサン・クリストバルの丘から市街を一望でき、遠方にはアンデス山脈も望める。

 一方、ラス・コンデス地区などの新市街には近代的なオフィスビルや集合住宅、ショッピングモールなどが立ち並んでいる。雪を頂いた山々を背景としたガラス張りの高層ビル、という風景は、サンティアゴ特有のものだ。



 鹿島アントラーズOBとして現地を取材した名良橋晃さんは、旧市街でピーナッツ菓子を売る屋台のおじさんと打ち解けて談笑したり、大道芸に飛び入り参加したりと、サンティアゴの街にすぐさま順応。「この雰囲気、最高ですよね。取材とか関係なく1週間ぐらいのんびりしたいし……移住したいっす!」とサンティアゴを満喫していた。

 一方、サポーター代表として今回の取材に同行した南結衣ちゃんは、ショッピングモールのあまりの広さと人の多さに驚愕。ショッピングを楽しむつもりが、15分後には「迷子になりそうなのでそろそろやめときます」。南米の意外な一面を体感した様子だった。





 旧市街で多くの観光客が訪れるのが、マポチョ川のほとりにある中央市場だ。野菜や果物、薬草、肉類なども扱っているが、最大の目玉は新鮮な海産物。店員は日本人を見ると「ウニ、タラバガニ、タコ、イカ、アナゴ、アワビ、エビ、シャケ……」と日本語で説明してくれる。

 一番人気はやはりウニ。日本では高級食材だが、チリでは1個あたり500ペソ(約80円、取材当時の相場とレート)で購入できる。名良橋さんと結衣ちゃん、早速その場でウニをさばいてもらい試食。結衣ちゃんは口に入れた瞬間に「新鮮でものすごくおいしい!」と感動の表情を浮かべていた。



 試食で完全にスイッチが入った2人は、市場内にあるレストランに移動。皿いっぱいに盛られた生ウニと、こちらもチリの名産品である白ワインを心ゆくまで堪能した。

 ちなみに、チリでは生ウニにレモンやオリーブオイル、刻んだタマネギ、コリアンダーをかけて食べるようだが、このレストランでは日本人相手には醤油とワサビを出してくれる。「ウニをたくさん食べたんで、“ウニ”ベルシダ・デ・チリに勝てますね!」と名良橋さん。チリ取材中、どこへ行っても絶“口”調だった。

【第5回】名良橋晃&南結衣のクラブハウス潜入記


文=池田敏明
写真=市川陽介、ウニベルシダ・デ・チリ

 ガードマンが常駐し、厳重に警備された門を抜けると、右側には天然芝や人工芝のコートが何面も並び、その先には巨大なクラブハウスの建物が横たわる。突き当たりは選手たちの駐車スペースで、ヨーロッパ産の高級車がズラリ。そして建物と並んで天然芝のピッチが何面も広がり、我々が到着した時はちょうどスプリンクラーで水が捲かれているところだった。

 予想外の光景に、クラブハウス突撃取材を敢行した名良橋晃さんは「日本での知名度は低いですけど、これは紛れもなくビッグクラブですね」と威圧されていた。



 我々を案内してくれた広報担当のマルセロ・ロペス氏によると、この施設は2010年に完成したという。ヨーロッパや南米のビッグクラブに調査員を派遣し、各クラブハウスの長所を融合させて作り上げたもので、ホセ・ユラセック会長曰く「建設費は1400万ドル(約11億2000万円)」。記者会見場、ジム、サロン、ロッカールーム、用具室と、すべての施設が衝撃的だった。

 また、ユラセック会長は「これは若者を育成するための施設だ」とも教えてくれた。その言葉を象徴するように、クラブハウスの2回には学校も併設されている。特別に許可を得て教室に潜入すると、行われていたのは英語の授業。チリはスペイン語圏だが、将来世界中へ羽ばたくことを想定しての教育だという。下部組織に所属する若者たちが、真剣なまなざしで教師の声に耳を傾けていた。



 明日のスターを夢見る若者たちの実力を試そうと、名良橋さんがユースチームの練習に参加することになった。当初はトップチームの練習への参加を打診したのだが、「ホルヘ・サンパオリ監督が許すはずがない」と難色を示され、代替案として実現したものだ。

「どれほどのものか試してやりますよ」と意気込んでピッチに足を踏み入れた名良橋さんだったが、時差ボケや長期移動による疲労の影響もあってなかなか本領発揮とはいかず、途中で無念のリタイヤ。それでも若者たちの実力は肌で感じたようで、「本当にレベルが高い。きっとこの中から、明日のスターが現れることでしょう」と感想を述べていた。



 育成を重視するクラブの象徴となっているのが、今年トップチームに昇格した18歳のFWアンジェロ・エンリケス。ティーンエイジャーとは思えぬ落ち着きぶりで名良橋さんのインタビューに応じたエンリケスは、「自分の仕事は得点を奪うこと」ときっぱり。

「ウニベルシダ・デ・チリのスタープレーヤーの仲間入りすることが僕の夢。そのために普段から自分にハードワークを課し、試合で100パーセントの力を発揮し続けたい」と抱負を語ってくれた。



 ウニベルシダ・デ・チリには女子チームもあり、今回はクラブ側のご厚意によって結衣ちゃんの練習参加も実現した。「U」のロゴが入ったトレーニングウェアに着替えた結衣ちゃん、「フットサルしかやったことなくて、フルコートのサッカーは初めてなんですけど……」と少し不安げな表情。

 練習開始当初は言葉が通じないこともあって戸惑いを見せていたが、徐々に順応し軽快な動きを披露。トレーニング後半に行われたゲームではFWに入り、ボールを持つと何故か相手DFが金縛りに遭うという“怪現象”のアシストもあって1ゴールを記録。全体練習後には監督からシュートの蹴り方について熱血指導を受け、チームメートたちからは「明日も来てね〜」とお誘いを受けるなど、完全に打ち解けていた。

 ちなみに結衣ちゃん、クラブの男性スタッフから大人気で施設内を歩くたびに声を掛けられていたため、「チリでデビューしようかな」と、本気とも冗談とも取れぬつぶやきを発していた。

【第6回】名良橋晃&南結衣のスタジアム潜入記


文=池田敏明
写真=市川陽介、ウニベルシダ・デ・チリ

 4月29日、チリサッカー界にとって最大のイベントである“スーペル・クラシコ”、ウニベルシダ・デ・チリ対コロコロの一戦が行われた。今回はウニベルシダ・デ・チリのホームゲームで、会場はエスタディオ・ナシオナル。ここは1938年にオープンし、1962年のチリ・ワールドカップで決勝戦が行われた歴史と伝統を誇るスタジアムだ。現在はウニベルシダ・デ・チリとチリ代表のホームスタジアムとして使用されている。



 試合は16時キックオフだったが、12時半に我々取材陣が到着した時には既にスタジアム内外に多くのサポーターの姿があった。チャントを歌いながら入場ゲートを目指すウニベルシダ・デ・チリのファン。彼らとは隔離された通路を歩きながら、向けられたテレビカメラに向かって挑発的な言動を取るコロコロのサポーター集団。早くもテンションが最高潮に達してしまったのか、身柄を拘束されて警察車両に連行される若者の姿もあった。



 スタジアム内に入ると、スタンドでは早くも両チームのサポーターがチャント合戦を展開。澄み渡る青空とバックスタンドの向こうに連なる雪を冠したアンデス山脈、そこに響き渡る歌声。「やっぱこの雰囲気、たまらないですね〜」。国内外の様々なスタジアムでプレーし、フランス・ワールドカップの熱気をピッチ上で体感した名良橋晃さんも、南米サッカー特有の盛り上がりを全身に浴び、気持ちを高ぶらせていた。鹿島アントラーズサポーター代表の南結衣ちゃんは、海外で初めて観戦する試合がチリのスーペル・クラシコという幸運な巡り合わせだ。



 その後、スタジアムの外に出てサポーターへの突撃取材を試みる。結衣ちゃんは鹿島、そして名良橋さんは現地調達したウニベルシダ・デ・チリのユニフォームに身を包み、“戦闘モード”に入る。しかし、2人は瞬く間にハイテンションのサポーターに囲まれてしまった。ウニベルシダ・デ・チリの関係者から「チリではアルコールを摂取しての、あるいは摂取しながらの観戦は禁止されている」と聞いていたが、誰もが酔っているかと見間違うほど気持ちが高ぶっている。

 この時に驚かされたのだが、サポーターの多くが我々日本人の姿を見かけると「コパ・スルガバンク! コパ・スルガバンク!」と声をかけてきたこと。「コパ・スルガバンク」とは、スルガ銀行チャンピオンシップの南米での呼称。南米での同大会の知名度は、驚くほど高いのだ。



 スタンドは両チームのファンでぎっしり埋まり、16時にいよいよキックオフ。誰もが待ち望んだ一戦は、前半終了間際に大きく動く。コロコロが退場者を出し、ホームのウニベルシダ・デ・チリが先制。後半には怒涛の4ゴールを追加し、5−0という一方的なスコアでウニベルシダ・デ・チリが勝利を収めた。スタンドでじっくりと観戦した名良橋さんは、終了のホイッスルが鳴った後もしばしピッチを見つめたまま。そして、次のように感想を語ってくれた。



「自分が試合に出るわけじゃなかったですけど、武者震いしましたね。スタジアムの一体感は素晴らしかった。サポーターはまさに命懸けでチームを応援しているし、ピッチ上ではそれぞれの選手が持ち味を存分に発揮している。本当に楽しかったです」

【第7回】関係者が語るウニベルシダ・デ・チリの強さと魅力


文=池田敏明
写真=市川陽介、ウニベルシダ・デ・チリ

「ウニベルシダ・デ・チリはサポーターの数が多く、非常に有名で人気のあるクラブです。近年は多くの成功も収めていますしね」

 チリのサッカー専門チャンネル『CDF』のコケ・ゴンサレス記者は、ウニベルシダ・デ・チリというクラブについてシンプルにそう説明してくれた。チリのサッカー界ではもともと、ウニベルシダ・デ・チリのライバルであるコロコロが“盟主”としての地位を築いていた。しかし最近、両者の立場は逆転している。

 ラジオ局『ラディオ・アグリクルトゥーラ』のアンドレス・フェルナンデス記者によると、「以前はコロコロのほうがサポーターの数が多かったが、今はほとんど同じぐらいの数」だという。南米の人々は自分が生まれ育った地元のクラブを応援するのが一般的だが、国際タイトルを獲得したり、ビッグクラブから勝利を挙げたりとインパクトのある結果を残したクラブは全国的な人気を獲得することが多い。2011年にウニベルシダ・デ・チリが達成した国内リーグ前期、後期完全制覇、コパ・ブリヂストン・スダメリカーナ優勝は、その人気を爆発させるのに十分な成績だった。

 もちろん、物心ついた時からウニベルシダ・デ・チリを応援している熱狂的ファンも多数存在する。今回の取材ではサンティアゴ市の様々な人に話を聞いたが、声をかけた人の大半はウニベルシダ・デ・チリのファンだと回答。ユニフォーム姿で街を闊歩する老若男女の姿もよく見かけた。



 チリ大学の学生であるアリエル君は、「子供の頃からスタジアムに通い詰めている」という熱狂的なサポーターで、現在はソシオのメンバーにもなっている。「スペクタクル溢れるサッカーを見せてくれるので、スタジアムに行くのが楽しみ。週末ごとにゴール裏に陣取り、声援を送るのが僕の人生の一部です」と言うほどだから、彼にとってこのクラブは絶対的な存在なのだろう。



 サンティアゴ中央市場の鮮魚店で働くカルロスさんは「俺にとって一番大事なのはこの仕事だ。仕事をしなきゃ金を稼げないし、金がなかったらウニベルシダ・デ・チリの試合も見に行けないからな」と、独特の言い回しでチームへの愛情を表現した。彼らにとって、人生の中心にあるのはいつも愛するクラブ、ウニベルシダ・デ・チリなのだ。

 では、彼らを惹きつけてやまないチームの魅力、強さの秘訣はどこにあるのだろうか。18歳でトップチームに昇格し、レギュラーとして活躍するFWアンジェロ・エンリケスは「グループとしてまとまっていて、ホルヘ・サンパオリ監督の理念が十分に浸透していること」を挙げる。「全員がハードワークを行い、高いポゼッションで攻撃を仕掛ける一方で、高い守備意識も保ち続ける。それがどんな試合でも勝利を収められる理由だと思う」と続けており、選手たちの絶え間ない努力が爆発的な強さに繋がっていることを実感しているようだ。



 守護神ジョニー・エレーラは、コパ・ブリヂストン・スダメリカーナを制した要因について次のように語っている。

「チームの全員が団結し、一つひとつのプレーに全力を尽くした結果、クラブ史、そしてチリサッカー史に残るタイトルを獲得することができた」

 傑出したタレントがいるわけでなく、派手なプレーを見せることに重きを置いているわけではない。全員が100パーセントの力を発揮し、勝利を目指してひたすらハードワークに励む。それがウニベルシダ・デ・チリ特有の圧倒的な攻撃サッカーを生み出し、ファンの熱狂を誘っているのだ。

【第8回】南米屈指の名将ホルヘ・サンパオリを知る


文=池田敏明
写真=市川陽介、ウニベルシダ・デ・チリ

 試合前、スタジアムではその日の先発メンバーがアナウンスされる。GKから順番に一人ひとり名前が呼ばれ、サポーターがそれに呼応していく。歓声が大きい選手、それほどでもない選手と様々だが、では最も大きな声援を浴びるのは誰なのか。守護神ジョニー・エレーラ、キャプテンのホセ・ロハスはもちろん、期待の若武者アンジェロ・エンリケスなどアカデミー出身の中心選手が紹介された時はやはり盛り上がる。しかし、最もスタンドが沸き上がったのは、最後に「ホルヘ・サンパオリ」という名前がコールされた時。チームを率いるアルゼンチン人指揮官は、サポーターから絶大な人気を誇っているのだ。



 サンパオリは独自のキャリアを歩んできた指揮官だ。ニューウェルス・オールド・ボーイズの育成組織で守備的MFとしてプレーしていたが、足のケガにより19歳の時に現役続行を断念。ニューウェルスの下部組織での指導歴を経て、2002年にペルーのフアン・アウリクという小さなクラブで初めてトップチームの指揮を執ることとなる。

 その後はペルー国内でキャリアを重ね、2008年にはチリのオイギンス、2010年にはエクアドルのエメレクへと招かれた。これらのクラブで国内リーグのプレーオフ進出、コパ・リベルタドーレスやコパ・ブリヂストン・スダメリカーナ出場権獲得などの実績を残し、2010年12月にウニベルシダ・デ・チリとの契約を締結。翌2011年シーズンから同クラブの指揮を執ることとなる。



「アスレティック・ビルバオをあそこまで攻撃的なチームに仕上げるなどと、誰が想像しただろうか。それを実現させたビエルサは本当に素晴らしい」。

 そう語るとおり、サンパオリは屈指の戦術家であるマルセロ・ビエルサを崇拝している。そしてビエルサ同様、ハイプレスと縦へのスピードを重視した超攻撃的なサッカーを志向する。ウニベルシダ・デ・チリのプレーを見れば一目瞭然だが、90分間を通じて全員がハードワークを怠らず、人数を掛けて果敢に攻め立てるサッカーは見ていて実に快濶だ。



 サンパオリの就任以降、ウニベルシダ・デ・チリの実力は如実に上昇した。2011シーズンは前期、後期ともにリーグ戦を制し、コパ・ブリヂストン・スダメリカーナでは無敗優勝という偉業を達成。2012年上半期は国内リーグ、コパ・リベルタドーレスでともに優勝を目指すという困難なミッションが課される中、コパ・リベルタドーレスではベスト4進出を果たし、国内リーグではプレーオフ準決勝でライバルのコロコロに大逆転勝利、決勝のオイギンス戦ではPK戦までもつれこむ激闘を制し、クラブに16回目のタイトルをもたらした。サンパオリの評価は急上昇しており、今ではブラジルのビッグクラブや中東の国から監督就任のオファーが届いているという。



 地元のラジオ局『ラディオ・アグリクルトゥーラ』のアンドレス・フェルナンデス記者の話によると、サンパオリは「たとえ親善試合であってもベストメンバーをそろえ、全力で戦うことを選手に求める指揮官」だという。時差や気候への適応、長旅による疲弊など、南米から日本にチームが来る時は様々な問題を抱えるのが常だが、甘えを一切許さない指揮官に率いられた選手たちは、間違いなくピッチで全力を尽くし、本気でタイトルを奪いに来るだろう。ホルヘ・サンパオリが率いるチームに“敗北”は許されない。それがコパ・ブリヂストン・スダメリカーナ王者という称号を引っ提げてのタイトルマッチとなれば、指揮官の意気込みは言うまでもないだろう。

【第9回】ウニベルシダ・デ・チリ、受け継がれる7番の伝説


文=池田敏明
写真=市川陽介、ウニベルシダ・デ・チリ

 ブラジル代表やアルゼンチン代表では10番がエースナンバーとされている。チームの中心的存在が背負って栄光の時代を築き、新たなエースがそのナンバーを継承し、プレッシャーをはねのけて更なる伝説を築き上げる。その繰り返しによって、背番号は特別な数字となる。

 ウニベルシダ・デ・チリでは、7番がエースナンバーとして確立されつつある。この傾向を築いたのが、昨シーズン限りで現役を引退し、現在はクラブでアドバイザーを務めるディエゴ・リバローラだ。彼はアルゼンチン出身で、現役時代はFWやトップ下としてプレー。アルゼンチン、チリ、メキシコ、ベネズエラのクラブを渡り歩いたキャリアの中、ウニベルシダ・デ・チリでは合計7シーズンにわたって在籍し、国内リーグ227試合87ゴールという記録を樹立した。代表歴こそないが、ファンの間で絶大な人気を誇るローカル・ヒーローであり、今でも背番号7と彼の名前がプリントされたユニフォーム姿のサポーターを見かけるほどだ。



「ウニベルシダ・デ・チリは自分にとってのすべてです。我が家のような場所ですね。私にとってはまさに第二の故郷です」。我々の取材に応じてくれたリバローラは、ウニベルシダ・デ・チリというクラブについてそう表現した。ファンから深く愛され、4度の国内リーグ制覇、そしてコパ・ブリヂストン・スダメリカーナ優勝とタイトルにも恵まれ、キャリアの絶頂期を過ごした。リバローラとウニベルシダ・デ・チリは、まさに相思相愛の関係だ。

 そして、引退したリバローラと入れ替わるように今年トップチームに昇格し、18歳ながら瞬く間にレギュラーに定着したのがアンジェロ・エンリケスだ。クラブが背番号7を授けた新鋭は前期リーグで14試合10ゴール、コパ・リベルタドーレスでも10試合4ゴールの好成績を記録。まさにリバローラの“後継者”として、華々しいデビューを飾ったのである。



「リバローラはクラブの英雄」と、偉大なる先人に敬意を示すエンリケスだが、背番号7を継承したことについてプレッシャーは感じず、むしろ「この番号を付けてプレーすることを心から楽しんでいる」という。このメンタルの強さも、エースナンバーを背負う男たるゆえんだ。

 リバローラからエンリケスに継承されたものは、背番号7だけではない。ゴールを決めた後、リバローラはユニフォームをまくり上げてアンダーシャツのイラストを見せるパフォーマンスをしていた。描かれているのは、何と7番のユニフォームを着た『ドラゴンボール』の孫悟空。「他の選手とは違うゴールパフォーマンスをしたいと考えていた時に、友人があのシャツをプレゼントしてくれたんです。以来、私はずっと「ゴクウ」のアンダーシャツを着て試合に臨み、たくさんのゴールを決めました。今では街ですれ違う人が、私のことを名前ではなく『ゴクウ』と呼ぶほどです」



 4月29日、コロコロとの“スーペル・クラシコ”でゴールを決めたエンリケスは、リバローラと全く同じパフォーマンスを披露しファンを熱狂させた。これにはリバローラも「あんなものを仕込んでいるとは知らなかったので、正直言って驚きました」と笑顔を浮かべた。原作で孫悟空の息子として孫悟飯が登場したのと同様に、エンリケスは今、ファンの間で「ゴハン」と呼ばれ、新たなアイドルとしての地位を築いている。

 ただ、エンリケスのチリでのキャリアはあまり長く続かないかもしれない。すでにマンチェスター・ユナイテッドが保有権を買い取ったとされ、2014年頃にはイングランドへ渡るとも報じられている。一部メディアではサー・アレックス・ファーガソンと並んで撮影した写真も掲載された。近い将来、彼は香川真司のチームメートとしてプレーすることになるのだろうか。そして、その背中には、再び7番――マンチェスター・Uが誇る栄光のエースナンバー――が輝いているかもしれない。


名良橋と南結衣嬢によるウニベルシダ・デ・チリの紹介である。
この南米の強豪に挑むこととなる。
鹿島としても、ホームの力を得て勝利をたぐり寄せたいところ。
対戦が楽しみである。

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狂おしいほどの愛。
深い愛。
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