ジュビロ・伊野波、神戸にもたらせたもの
【2013シーズン始動!ニューカマー・レコメンド】トップレベルの“物差し”を残したサムライ:伊野波雅彦(神戸→磐田)(13.02.06)

昨季、神戸で唯一ザックジャパンに呼ばれ続けた27歳は、これからのサッカー人生を考え、新天地へと旅立った。神戸に在籍したのはわずか1年。だが、現役日本代表がチームへ残したものは非常に大きかったと言える。
伊野波雅彦の神戸加入が発表されたのは昨年2月2日。給与未払いなどの問題が生じていたハイデュク・スプリト(クロアチア)との契約を解除した後、新加入の発表翌日には神戸の鹿児島キャンプに合流するという電撃的なものだった。契約解除の経緯について伊野波は、チームを通じてこうコメントしている。
「(メディアで)大きくとりあげられている給与未払いはありましたが、それが全てではありません。(神戸加入は)総合的にみて判断しました。今後のサッカー人生をしっかり考えた上での契約解除となりました」。
その後、オファーのあった欧州クラブへ移籍するか、Jリーグでのプレーかを悩みに悩んだ上で神戸に加入。伊野波は「人生でこれほど悩み、もがき苦しんだ2週間はありませんでした。(中略)自分の選択と確固たる決断に責任をもって、今はヴィッセル神戸を常勝軍団に作り上げたいと思っています」とコメントを寄せている。だが、彼にとって神戸の1年はこの移籍問題以上に悩み、苦しんだシーズンとなった。
日本代表との掛け持ちでコンディション調整が難しいなか、伊野波は「それは他の選手も同じ。言い訳にはならない」と言い続けた。だが、負傷の影響もあり、果たして自分の思うプレーができたのは何試合だっただろうか。また、ボランチでの出場を切望しながらも、西野朗前監督から「ボランチタイプではない」と引導を渡された苦い経験もある。相次いだ指揮官交代に対し「今までのサッカー人生で、こんな事態は経験した事は無い」と困惑を隠せない時もあった。そしてJ2降格。再び自らのサッカー人生と向き合うことになった。
そんな苦い1年だったが、神戸に大きな財産も残してくれた。それは日本トップレベルの“物差し”である。日本のトップ選手には、どれくらいの技術で、どれくらいのスピードと判断力で、どれくらいの正確さが必要かを神戸の選手たちにプレーで示した。特に若い選手にはその影響力は大きく、U-19日本代表の岩波拓也が今季の新体制会見で「伊野波選手を越えたい。フィードでは負けていないと思う」と目標を掲げたほど。センターバックでコンビを組む機会が多かった北本久仁衛が「カバーリングなど勉強になる」と話したこともある。堅守速攻とポゼッションサッカーの融合の模索を続ける過渡期の神戸にとって、彼の残した“物差し”はきっと役立つはずだ。また、伊野波にとっても神戸での1年が今後のサッカー人生で役立つことを祈りたい。
以上
2013.02.04 Reported by 白井邦彦
神戸から移籍したジュビロの伊野波である。
1年間在籍した神戸の選手に日本のトップ選手には、どれくらいの技術で、どれくらいのスピードと判断力で、どれくらいの正確さが必要かをもたらせたとのこと。
この財産を活かせたかどうかは疑問ではあるが、神戸に残った選手たちは、伊野波の残したものでJ1昇格を目指すこととなる。
逆に伊野波は神戸で何を得たのであろうか。
神戸番の記者はそれを心配しておる。
中田コがハイデュク・スプリト移籍時にコメントしたように「大人」になったであろうか。
伊野波の才能には異論はない。
しかしながら、人間は中身も重要と年齢を重ねるとわかってくるものである。
それをジュビロでのプレイで見せて欲しいと願う。

昨季、神戸で唯一ザックジャパンに呼ばれ続けた27歳は、これからのサッカー人生を考え、新天地へと旅立った。神戸に在籍したのはわずか1年。だが、現役日本代表がチームへ残したものは非常に大きかったと言える。
伊野波雅彦の神戸加入が発表されたのは昨年2月2日。給与未払いなどの問題が生じていたハイデュク・スプリト(クロアチア)との契約を解除した後、新加入の発表翌日には神戸の鹿児島キャンプに合流するという電撃的なものだった。契約解除の経緯について伊野波は、チームを通じてこうコメントしている。
「(メディアで)大きくとりあげられている給与未払いはありましたが、それが全てではありません。(神戸加入は)総合的にみて判断しました。今後のサッカー人生をしっかり考えた上での契約解除となりました」。
その後、オファーのあった欧州クラブへ移籍するか、Jリーグでのプレーかを悩みに悩んだ上で神戸に加入。伊野波は「人生でこれほど悩み、もがき苦しんだ2週間はありませんでした。(中略)自分の選択と確固たる決断に責任をもって、今はヴィッセル神戸を常勝軍団に作り上げたいと思っています」とコメントを寄せている。だが、彼にとって神戸の1年はこの移籍問題以上に悩み、苦しんだシーズンとなった。
日本代表との掛け持ちでコンディション調整が難しいなか、伊野波は「それは他の選手も同じ。言い訳にはならない」と言い続けた。だが、負傷の影響もあり、果たして自分の思うプレーができたのは何試合だっただろうか。また、ボランチでの出場を切望しながらも、西野朗前監督から「ボランチタイプではない」と引導を渡された苦い経験もある。相次いだ指揮官交代に対し「今までのサッカー人生で、こんな事態は経験した事は無い」と困惑を隠せない時もあった。そしてJ2降格。再び自らのサッカー人生と向き合うことになった。
そんな苦い1年だったが、神戸に大きな財産も残してくれた。それは日本トップレベルの“物差し”である。日本のトップ選手には、どれくらいの技術で、どれくらいのスピードと判断力で、どれくらいの正確さが必要かを神戸の選手たちにプレーで示した。特に若い選手にはその影響力は大きく、U-19日本代表の岩波拓也が今季の新体制会見で「伊野波選手を越えたい。フィードでは負けていないと思う」と目標を掲げたほど。センターバックでコンビを組む機会が多かった北本久仁衛が「カバーリングなど勉強になる」と話したこともある。堅守速攻とポゼッションサッカーの融合の模索を続ける過渡期の神戸にとって、彼の残した“物差し”はきっと役立つはずだ。また、伊野波にとっても神戸での1年が今後のサッカー人生で役立つことを祈りたい。
以上
2013.02.04 Reported by 白井邦彦
神戸から移籍したジュビロの伊野波である。
1年間在籍した神戸の選手に日本のトップ選手には、どれくらいの技術で、どれくらいのスピードと判断力で、どれくらいの正確さが必要かをもたらせたとのこと。
この財産を活かせたかどうかは疑問ではあるが、神戸に残った選手たちは、伊野波の残したものでJ1昇格を目指すこととなる。
逆に伊野波は神戸で何を得たのであろうか。
神戸番の記者はそれを心配しておる。
中田コがハイデュク・スプリト移籍時にコメントしたように「大人」になったであろうか。
伊野波の才能には異論はない。
しかしながら、人間は中身も重要と年齢を重ねるとわかってくるものである。
それをジュビロでのプレイで見せて欲しいと願う。