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小笠原満男、恩返しの気持ち

鹿島・小笠原支援の復興グラウンド、4月始動…東日本大震災から2年

ピンクの入ったシューズを履いて子どもたちと触れ合う小笠原

 戦後最悪の自然災害となった東日本大震災は、11日で発生から2年を迎える。10日も行方不明者の捜索は続き、各地で追悼行事などが開かれた。被災地支援を続ける岩手県出身のサッカーJリーグ、鹿島のMF小笠原満男(33)は、今もなお、その爪痕が残る現状を語った。

 甚大な被害を受けた岩手県大船渡市で高校時代を過ごした小笠原。「東北人魂を持つJ選手の会」の発起人の一人として、震災直後から積極的に東北の復興支援活動を行っている。

 1月にも東北を訪れ、チャリティーイベントなどを開催。思うように復興が進まない中で感じたのは「各市町村、また人それぞれによって、全然状況が違う」こと。そして、「少しずつ自立しようという雰囲気になってきている」ことだった。

 物資を届けることから始めた「東北人魂」。しかし、被災地が自立し始めていることで「今、物資を届けてしまえば、仮設店舗とかでやっているスポーツ用品店への需要を奪ってしまう。いいと思ってやっていることが、自立の妨げになっちゃいけない」と葛藤もあるという。

 何が正解かわからない、手探りの中の復興支援だが、一つの形として姿を現そうとしているものがある。「岩手グラウンドプロジェクト」として、子どもたちのために約1年間かけて建設してきたグラウンドが、大船渡市立赤崎小学校の跡地に間もなく完成する。「子どもたちはすごく元気だが、やはり思うように活動できないっていう声も多く聞きます。4月の新学期から、使えるように整えたいと思っています。みなさんに使って欲しい。サッカー、野球、スポーツ、体育でもいいです」と願う。普段は黒のスパイクを履くが、震災の年から「子供たちが喜ぶし、近づきやすいかな」とピンクが入ったアップシューズを使用。東北でのイベント時は必ず蛍光色の入ったシューズにするなど子どもたちの笑顔のために行動してきた。

 当初、「東北人魂」の活動は1年間をめどとしたものだったが、今年で3年目に入る。「1年ごとに区切って、選手、地元の方がどう感じているのか、本当にニーズはあるのか。みんなと話し合いながらやっていければと思います」

 小笠原はあえて「支援」という言葉を使わない。「勝手な自分のとらえ方ですけれど。支援してあげるじゃなくて、力になりたい、お世話になった人への恩返しという気持ちでやっている」

 今年もJリーグが開幕した。「サポーターもいろんなものを抱えながら、みんな頑張っているので、そういう人が報われるように、勝利をプレゼントできたらと思う」。被災地クラブ同士の対戦となった9日の仙台戦(カシマ)は、3―2で勝利。点の取り合いにスタジアムは熱狂した。支援はもちろん、サッカーで被災地を元気づけるために全力プレーを続ける。

 ◆小笠原 満男(おがさわら・みつお)1979年4月5日、岩手県盛岡市生まれ。33歳。岩手・大船渡高卒業後、98年に鹿島入り。02、06年W杯日本代表。06年7月にセリエAメッシーナへレンタル移籍し07年に鹿島復帰。Jリーグで6度のベストイレブン受賞、09年にMVP。Jリーグ通算試合371試合64得点。代表Aマッチ55試合7得点。173センチ、72キロ。既婚。

(2013年3月11日06時03分 スポーツ報知)

震災から二年、被災地の現状について口を開く小笠原満男である。
支援という言葉を使わず「恩返し」と言う。
この気持ちは非常に高貴では無かろうか。
小笠原満男の行動に感服する。
これからも恩返しに尽力して欲しい。
大きな男である。

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